沼津の町を過ぎて千本松原に入り込んだ。松原の中に通じてゐる甲州街道をずつと富士川まで歩いて行かうといふのである。どうしてこの松原の中の道を甲州街道と云ふか、或はまだ東海道の出來ぬ以前に此處にこの道があり、末は駿州から富士川にでも沿うて甲州の方へ入つてゐたものかも知れぬ。兎に角現在の汽車道は昔の東海道に沿ひ、その東海道は沼津から富士川の岸に到るまで三四里の間この千本松原に沿うてゐる。そしてその松原の中に細々として甲州街道と稱へらるゝこの小徑がついてゐるのだ。街道とは名ばかりで、ほんの漁師共の通ふにすぎぬものではあるが、五町十町と私はこの松原の蔭を歩くのが好きであつた。そしていつかこの小徑のはづれまで、言ひかへれば富士川の川口で盡きてゐる松原のはづれまでぼつぼつと歩いて見度いものと思つてゐた。名物の名殘を喰ひに今は亡んだ宿場まで出かけるならいつそ汽車をよして歩くがよく、歩くならば月竝《つきなみ》な東海道を歩くよりこの人知れぬ廢道を行つた方がよからうと云ふ兩人の間の相談からではあつたが、要は靜かな海岸沿ひの長い/\松原を歩き盡したいといふにあつた。
松原に入つた頃はまだ薄暗かつた。松はたゞ
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