坂本に入つた。碓氷峠を挾んで西と東、輕井澤と共に昔の中山道では時めいた宿場だつたに相違ない其處なので一軒位ゐはあるであらうとあてにして來た宿屋がまるで無かつた。ただ一軒、蔦屋といつたと思ふ、木賃宿があつた。爺さんと婆さんとに一度斷られたのを無理に頼んで泊めて貰ふことになつた。
 酒を取つて來て貰つたが酸くて飮めない。麥酒を頼んだが、そんな物はないといつて取合はない。せめて葡萄酒でもと今度は自分で探しに出たが、全く何も無かつた。そして代りに燒酎を買つて來た。酸くないだけでも遙かにましであつた。夏も火を斷たぬ大圍爐裡で爺さんを相手に飮んで床に入つた。宿は爺婆だけで、他に誰もゐなかつた。息子も娘もあるのだが、土地には何もする用がないので皆出稼ぎに行つてゐるのださうだ。
 ほんのとろ/\としたと思ふと眼が覺めた。湧く樣な蚤の襲撃である。一度眼が覺めたと共にもうどうしても眠れない。時計を見るとまだ宵の口だ。私は戸をあけて、月の出た石ころ道を少し歩き下つてまた燒酎を買つて來た。も少し醉つて眠らうとしたのである。
 翌朝、まだ月のあるうちにその宿を立つた。そして近道をとつて妙義山へ登らうとした。一度
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