樹木とその葉
或る日の晝餐
若山牧水
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)若《も》しくは
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#「廴+囘」、第4水準2−12−11]つて
/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)はら/\と
*濁点付きの二倍の踊り字は「/″\」
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或る日の午前十一時頃、書き惱んでゐる急ぎの原稿とその催促の電報と小さな時計とを机の上に並べながら、私は甚だ重苦しい心持になつてゐた。
机に兩肱をついて窓のそとを見てゐると頻りに櫻が散つてゐる。小さな窓から見える間に一ひらか二ひらか、若《も》しくははら/\とうち連れて散り亂れてゐるか、その花片の見えない一瞬間だに無い樣に、ひら/\、ひら/\、はら/\と散つてゐる。曇り日の濕つた空氣の中に何となく冷たい感觸を起しながら、あとから/\と散つてゐる。割合に古木の並んだ庭さきのその木の梢にはまだみつちりと咲きかたまつてゐるのだが、今日はもう昨日の色の深みはない。見るからにほの白く褪《あ》せてゐる。その褪せた花のかたまりの中から限りもなげに小さな花びらが散り出して來るのである。
『今年の櫻もけふあたりが終りかナ。』
さう思ひながら私はたうとうペンを原稿紙の上に置いて立ち上つた。そして窓際の椅子に行つて腰掛けた。見れば窓下の庭も、庭つゞきの畑も、いちめんに眞白になつてゐる。たま/\あたりの木等に冷たい音を立てながら風が吹いて來ると、ほんとに眼の前に渦を卷いて花の吹雪が亂れたつのである。
少し身體を前屈みにすると[#「前屈みにすると」は底本では「前届みにすると」]眞白な櫻木立の間に香貫山が見える。その圓みのある山を包んだ小松の木立もこの數日急に春めいて來た、といふより夏めいて來た。山いちめんの小松原の色がありありとその心を語つてゐる。黒みがかつたうへにうす白い緑青を吹いてゐるのである。
何といふことなく私の心は靜かに沈んで行つた。そして頻りに山の青いのが親しくなつた。時計を見るとかれこれ十二時である。あれこれと考へたすゑ、私は椅子を立つた。
茶の間に來て見ると妻は裁縫道具を片づけてゐた。晝飯を待つて兩人《ふたり》の小さな娘はもうちやんと其處
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