萬なものであつたが――實際小生が其處を立退くと直ぐその家は壞されてしまつた――その時はさうした變なところが妙に自分の氣持に合つてゐたのだ。その前後が最も小生の酒に淫《いん》してゐた頃で、金十錢あれば十錢、五錢あれば五錢を酒に代へ飮んでゐた。イヤ、それだけでなく帽子が酒になり、帶までもそれに變つた。
さうしてその頃小生の詠んでゐた歌は次の樣なものである。
[#ここから3字下げ]
正宗の一合壜のかはゆさは珠にかも似む飮まで居るべし
わが部屋にわれの居ること木の枝に魚の棲むよりうらさびしけれ
誰にもあれ人見まほしき心ならむ今日もふらふら街出であるく
其處此處の友は今しも何をして何想ふならむわれ早やも寢む
わだつみの底に青石搖るるよりさびしからずやわれの寢覺は
明けがたの床に寢ざめてわれと身の呼吸《いき》することのいかにさびしき
寢ざむればうすく眼に見ゆわがいのちの終らむとする際《きは》の明るさ
夜深く濠に流るる落し水聞くことなかれ寢ざむるなかれ
かなしくも命の暗さきはまらばみづから死なむ砒素《ひそ》をわが持つ
青海のひびくに似たるなつかしさわが眼の前の砒素にあつまる
[#ここで字下げ終わり
前へ
次へ
全9ページ中4ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
若山 牧水 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング