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あゝした落ちつかぬ朝夕を送つてゐながら斯ういふ小綺麗な歌ばかりを詠んでゐたといふことが今から見るといかにも滑稽の感を誘ふのである。
サテ、斯うして順々に書いてゐたのでは結局一種の自叙傳を書くことになつてゆく。間を端折つて結婚後の事を少し書き添へておきたい。すべて貧乏史の續きならぬはないが、多少その間に色彩の變化がある樣であるからである。
私等が結婚したのは小生の二十八歳の時であつた。當時彼女は新宿の女郎屋の間に在る酒屋の二階を借りて、其處で遊女たちの着物を縫つて身を立てゝゐたので取りあへず其處に同棲する事になつた。謂はゞ亭主が女房の許に寄食した形であつた。小生は小生でその頃休刊してゐた以前からの雜誌『創作』を自分の手で復活經營したく頻りと金を集めることに腐心してゐたのであつた。折も折、其處へ小生の郷里から父危篤の電報が來て九州の日向まで歸らねばならぬことになつた。病氣は中風で次第に永引き、終《つひ》には其儘《そのまま》眠つてしまつた。かた/″\で約一年ばかりも郷里に留り、大正二年六月上京して小石川の大塚窪町にさゝやかな一戸を構へた。その時はもう長男が生れてゐた。
其處で或る金主がついていよ/\其の雜誌を再興する事になつた。なるにはなつたが、なかなか思ふ樣に成績が擧らず、小生の受くる報酬なども一向に定つてゐなかつた。それに妙に小生の家には來客が多かつた。毎日五人か十人、而も一向にこちらの事にはお察しのつかぬ人たちだつた。小生自身もまた前の頽廢期間の惰力から逃れ得ずに相手さへあれば二日でも三日でも酒に浸つて醒めなかつた。從つて雜誌の方の仕事も進まず金主との間も面白くない、間に在つて唯だもう困るのは細君ばかりであつた。初めに言つた彼女の記憶といふのは概ねこの大塚窪町時代に係つてゐるのも無理ならぬ話である。幸にツイ近所に同じ樣に貧しい友人が住んでゐた。中の一人の若い畫工などは一圓でも二圓でも金が手に入れば必ず先づその一割を以て鹽を買ひ、五分を以て胡麻を買ひ、殘り八割五分の金で米を買つて置く。米と胡麻鹽とさへあれば人間決して死なゝいといふのがこの人の言分であつた。そしてさう言ひながら我等の間には明朝の米今夜の米の貸借が行はれてゐたのである。斯うした貧しい同志が相隣つて住んでゐた事はお互ひにとつて少なからぬ力であらねばならなかつた。
細君はたうとう病氣になつた。
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