つて[#「つて」に傍点]を求めて雜司ヶ谷に在る或る慈善病院に入れたが、次第に永引きやがて醫師のすゝめで相州三浦半島に轉地した。その頃流石に小生自身も疲れてゐたのでいつそ一緒に行くがよからうと一家して移つて行つた。此處に來ると細君は非常に安らかな氣持になつたらしい。代つて苦しんだは小生である。轉地と共に雜誌も休刊したので、一定の收入といふものから全然離れてしまつた。せつせと書く原稿料とても知れたもので、歌の選科亦然りであつた。歌人仲間が短册會を起して金を拵《こしら》へ、細君の藥代として送つてよこして呉れたもその時であつた。が、此處でもまた一人貧しい友達が出來た。これは寧ろ我等のあとを追つて移つて來た樣な人たちで、同じく親子三人連で、そして同じく細君は病んでゐた。
この夫婦の貧乏は我等よりもつとひどかつた。「オイ、これをこれだけ借りてゆくよ」と言つて主人公自身、我等の借りてる部屋の隅の炭箱から木炭を一掴み抱へて行つた姿など、今でもまだ眼の前にある心地がする。
三浦を引上げたは大正五年の暮であつた。
そしてその後をなほ語るとすればそれは寧ろ日常生活の貧乏といふより雜誌發行者としての貧窮談になる。即ち多く印刷工場を相手としての苦鬪史である。休刊してゐた『創作』をその年から自分自身の手でまた/\再興して今日まで續けて來てゐる道中の話となるのである。
然し、どうしたものか小生には實のところ貧乏といふものがさほどには苦にならない。よくよくの貧乏性に生れて來てゐるのか、その時/\ですぐ忘れてしまひ得る幸福な性質を持つてゐるのか、その場はとにかく、その前後などを考ふることに於て、さほどには苦にならない。もう歳も歳だし、子供も大きくなつたし、それに三界無宿《さんがいむしゆく》の身で、今少し何とか考へねばならぬのだが、考へるつもりではゐるのだが、どうもまだ身にしみて來ない。おしまひまでこれで押してゆくのかも知れない。
底本:「若山牧水全集 第七卷」雄鷄社
1958(昭和33)年11月30日発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
入力:柴 武志
校正:浅原庸子
2001年3月20日公開
2005年11月14日修正
青空文庫作成ファイル:
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