上へは昇らない。もう一度私は同じ樣に折目の下から煙を吹いた。前の煙のあとを追うて浸み擴がつたそれは、やがてよれ/\[#「よれ/\」に傍点]に小さな渦卷を作りながら僅かに上に昇らうとする。二つ、三つと小さな渦は出來たが、矢張り上には立たなかつた。一二寸の高さに昇つたかと思ふと、くづるゝ樣に下に靡《なび》いて擴がつた。渦卷は山の形に、下に這ふ煙は信濃あたりの高い山から山の間に見る雲の海の形にも似て眺められて、私は幼い靜かな興味を覺えながら幾度となくその戲れを繰返した。
 不圖《ふと》落付かぬ何やらの音が聞えた。紙とガラスの二重になつてゐる窓の障子の間にまひ込んだ何やらの羽蟲が立つる音である。疲れ果てたそして極めて靜かなその場の氣持を壞さない樣に、私はわざわざ座を立つてその蟲を逃がさうとした。見ると、それは大きな虻《あぶ》であつた。一度も二度も今朝がたから私を螫《さ》して逃げて行つたそれである。
 波立つ胸で私はその少し前に用意して來てゐた蠅叩きを取つた。そして一打ちにその大きな虻を打ち落した。あり/\と強過ぎる力で打たれた蟲は、片羽をもがれ、腸を出して死んでしまつた。
 そのきたない死骸を
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