の影見ゆ
あかつきをいまだ點れる電燈の灯影はうつる庭のダリヤに
朝靜《あさしづ》のつゆけき道に蟇《ひき》出でてあそびてぞをる日の出でぬとに
旗雲のながれたなびきあさぞらの藍のふかきに燕啼くなり
まひおりて雀あめゆる朝じめり道のかたへのつゆ草のはな
[#ここで字下げ終わり]
 一首|蜩《ひぐらし》の歌を引いたが、ありとも見えぬこの小さな蟲の鳴き澄む聲はまつたく夏のあはれさ清らかさをかき含んだものである。ゆふぐれよりも朝がいゝ。地はしめり、草は垂れ、木々の葉ずゑに露の宿つた曉に聞くがもつともいゝ。

 蜩が夏のあはれであるならば、その寂しさをうたふものは何であらう。あそこにも、此處にもその寂しさをひきしめてうたつてゐるものがゐる。曰く郭公である。筒鳥である。呼子鳥である。佛法僧である。郭公は朝に、筒鳥は晝に、呼子鳥はゆふぐれに、佛法僧は夜に。
 みな夏に限つて啼く鳥である。山も動け、川も動け、山も眠れ、川も眠れと啼き澄ます是らの鳥のはげしい寂しい啼聲を聽く時は、自づとこの天地のたましひがかすかに其處に動いてゐる神神しさを感ずるのである。
 鶯も浮き、雲雀も浮き、鈴蟲も松蟲もみな浮いてゐるが
前へ 次へ
全8ページ中6ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
若山 牧水 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング