其處から路もない磯づたひを歩いて入江に沿うた一つの村に出た。玉積の浦というた。其處を右に切れて田圃を拔けるとまた一つ弓なりに彎曲した穩かな入江があり、廣々とした白砂の濱を際どつて一列の大きな松の並木が並び、松の蔭に四五軒の漁師小屋があつた。其處が名にふさはしい琴彈《ことひき》の濱といふのであつた。
 丁度、晝前の網を曳きあげたところであつたが、一疋の鯛もかゝつてゐなかつた。次の網は午後の三四時の頃だといふ。途方に暮れて暫らく松の蔭に坐つてゐたが、やがてM――老人は急に立ち上つて漁師共の寄つてゐる小屋へ出かけて行つた。そしてにこ/\と笑ひながら歸つて來た。
『えゝことがある、今に仰山な鯛を見せてあげますぞ。』
 老人からこつそりとわけを聞いてI――君も踊り上つて喜んだ。そして時計を出して見ながら、
『早う來んかなう。』
 などと幾度となく繰返して私の顏と沖の方とをかたみがはりに眺めて笑つてゐた。その間に老人は一人の漁師を走らせて酒や酢醤油をとり寄せた。
 程なく右手に突き出た岬のはなの沖合に何やら大きな旗をたてた一艘の發動機船の姿が見えた。
『來た/\。』
 さう叫びながら漁師たちは惶《
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