葉集の、讀み馴れた歌から歌を一首二首と音讀しようとして聲が咽喉につかへて出ず、強ひて讀みあげようとするとそれは怪しい嗚咽《をえつ》の聲となつた。萬葉の歌を眞實形に出して手を合せて拜んだのはこの時だけであつた。
終《つひ》に友人が心配しだした。そして、では私が代つて清書してあげませうと言ひながら、次から次と書きとつて行つた。それをば唯だ茫然と私は見てゐた。さうなつてからは日ならずして二三册のノートの歌が一綴の原稿紙の上にきれいに寫しとられてしまつた。
折角久し振におちついてゐた私の心はその清書にかゝらうとした時から再びまた烈しい動搖焦燥の裡《うち》にあつた。そして友人の手によつて清書が出來上るや否や、それを行李に收め、あたふたと私はその靜かな島を辭した。
丁度十年ほど前にあたる。いまこの島の數日を考へてゐると、其處の友人の家の庭にあつた柏の木の若葉、窓の下の飯蛸、または島から島にかけて啼き渡つてゐた杜鵑《ほととぎす》の聲など、なほありありと心の中に思ひ出されて來る。
その二
いま一度、私は瀬戸内海の島に渡つて行つたことがある、備前の宇野港から數里の沖合に在る直島と
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