あわ》てゝ小舟を濱からおろした。解《わけ》のわからぬまゝに私も促されてそれに乘つた。二人は漕ぎ、一人はせつせと赤い小旗を振つてゐた。
 入江の中ほどに來ると、その發動機船は徐ろに停つた。我等の小舟はそれを待ち受けてゐて、漕ぎ寄するや否や一齋に向うに乘り移つた。私もまた同樣にさうさせられた。そして、引つ張られてとある場所にゆき、勢ひよくさし示された所を見て思はず聲をあげた。
 この大型の發動機船の船底は其儘一つの生簀《いけす》になつてゐた。そして其處に集めも集めたり、無數の鯛が折り重なつて泳いでゐるのである。I――君は機船の人に問うた。
『なんぼほど居ります。』
『左樣千二三百も居りますやろ。』
 おゝ、その千二三百の大鯛が、中には多少弱つてゐるのもあつたが、多くはまだいき/\として美しい尾鰭を動かして泳いでゐるのである。
 その中から二疋を我等はわけて貰うた。小舟の漁師たちと機船の人たちとの間に何やら高笑ひが起つてゐたが、やがて漁師たちは幾度も頭をさげて小舟へ移つた。機船は直ぐ笛を鳴らして走り出した。聞けば彼女はこの瀬戸内の網場々々を※[#「廴+囘」、第4水準2−12−11]つて鯛を買ひ集め、生きながら船底に圍うて大阪へ向けて走るのださうである。
 濱の松の蔭では忽ちに賑やかな酒もりが開かれた。うしほに、煮附に、刺身に、鹽燒に、二疋の鯛は手速くも料理されたのである。
 いつか夕方の網までその酒は續いた。そしてたべ醉うた漁師達の網にどうしたしやれ者か、三疋の鯛がかゝて來た。よれつもつれつ、我等三人は一疋づつその鯛を背負うて、島の背をなす山の尾根づたひの路を二里ばかりも歩いた。歩いてゐるうちに月が出た。折しも十五夜の滿月であつた。峠から見る右の海左の海、どこの海にも影を引いて數多の島が浮んでゐた。斯くて今朝早朝に發動船で着いた船着場とは違つた今一つの港に着いて、其處から一艘の小舟を雇ひ、漕ぎに漕がせて宇野港へ歸りついたのは夜もよほど更けてゐた。可哀相に、其處まで送つて來てくれたM――老人は其處からまた島まで一人で歸るのであつた。晝間の酒をほど/\に切り上げて午後の定期の發動船に間に合ふ樣に老人の村まで歸つて居つたらば斯うした苦勞はせずとも濟んだであつたのに。

      その三

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船子《かこ》よ船子よ疾風《はやち》のなかに帆を張ると死ぬがごとくに叫ぶ船子等よ
大うねり傾きにつつ落つる時わが舟も魚とななめなりけり
次のうねりはわれの帆よりも高々とそびえて黒くうねり寄るなり
はたはたと濡帆はためき大つぶのしぶきとび來て向かむすべなし
やとさけぶ船子《かこ》の聲にしおどろけばうなづら黒み風來るなり
舳なるちひさき一帆裂くるばかり風をはらみて浪を縫ふなり
色赤くあらはれやがて浪に消ゆる沖邊の岩を見て走るなり
かくれたるあらはれにたる赤岩に生物の如く浪むらがれり
友が守る燈臺はあはれわだなかの眞はだかの岩に白く立ち居り
むら立てる赤き岩々とびこえて走せ寄る友に先づ胸せまる
あはれ淋しく顏もなりしか先つ日の友にあらぬはもとよりなれど
別れゐし永き時間も見ゆるごとくさびしく友の顏に見入りぬ
たづさへしわがおくりもの色燃えしダリヤの花はまだ枯れずあり
ダリヤの花につぎて船子等がとりいだす重きは酒ぞ友よこぼすな
歩みかねわが下駄ぬげばいそいそと友は草履をわれに履かする
友よ先づわれの言葉のすくなきをとがむな心なにかさびしきに
相逢ひて言葉すくなき友だちの二人ならびて登る斷崖《きりぎし》
石づくり角なる部屋にただひとつ窓あり友と妻とすまへる
その窓にわがたづさへし花を活け客をよろこぶその若き妻
語らむにあまり久しく別れゐし我等なりけり先づ酒酌まむ
友醉はずわれまた醉はずいとまなくさかづきかはし心をあたたむ
石室《いはむろ》のちひさき窓にあまり濃く晝のあを空うつりたるかな
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 これらの歌は今から七八年前、伊豆下田港の沖合に在る神子《みこ》元島《もとじま》の燈臺に燈臺守をしてゐる舊友を訪ねて行つた時に詠んだものである。
 神子元島は島とは云ふものゝ、あの附近の海に散在してゐる岩礁の中の大きなものであつた。赤錆びた一つの岩塊が鋭く浪の中から起つて立つてゐるにすぎなかつた。島には一握の土とてもなく、草も木も生えてはゐなかつた。其處の一番の高みに白い石造の燈臺が聳え、燈臺より一寸下つたところに、岩を刳《く》り拔いた樣にして燈臺守の住宅が同じく石造で出來てゐた。暴風雨の折など、ともすると海の大きなうねりがその島全體を呑むことがあるので、その怒濤の中に沈んでも壞れぬ樣にと、たゞ頑丈一方に出來てゐた。謂はば一つの岩窟であるその住宅は、中が四間か五間かにくぎられてゐた。階級は一等燈臺で、燈臺守の定員は四人とかいふのであ
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