、たいへんではありませんか。』
『いゝえなに、島中くるりと※[#「廴+囘」、第4水準2−12−11]つても半日とはかゝりませんからな、ハヽヽ。』
私も笑つた。その小さな島にさうした歴史の殘つてゐることがまた面白く感ぜられた。多分、船着場や潮流のよしあしなどの關係から出てゐることであらうとも思つた。
邸の前から漁師の家の間を五六十間も歩くと直ぐ山にかゝつた。とろ/\登りの坂ではあつたが早くも汗が浸み出た。晴れてはゐても、空には雲が多かつた。
『あそこに見えますのが……』
杖をとつて先に立つてゐた老人は立ち止つた。まばらに小松が生え、下草には低い雜木が青葉をつけ、そしてところどころそれらが禿げて地肌の赤いのを露《あら》はしてゐる樣な山腹を登つてゐた時であつた。老人にさし示されたところは我等より右手寄りの谷間に當つて其處ばかり年老いた松が十本あまり立ち籠つてゐた。
『上皇のお側に仕へてゐた上臈《じやうらふ》がおあとを慕うて島へ渡つて參り、程なく身重になつた。で、身二つになるまであそこの谷間に庵を結んで籠つてゐたと云ひ傳へられてゐる處です。』
むんむと蒸す日光の照りつけたその松林にははげしい蝉時雨が起つてゐた。
『さうして生みおとされたお子さまなどは、どういふことになつたのでせう。』
『さア、どうなられましたか……、まだほかに上皇の姫君も父君のおあとを慕つて參られましたが、どうしたわけか御一緒におゐでずに、此處とは別な谷間に上臈と同じく庵を結んで居られたと申します。』
程なくその島の背に當つてゐる峠を越した。そして少し下つた處に崇徳《すとく》上皇を祭つたお宮があつた。あたりは廣い松林で、疎ならず密ならず、見るからに明るい氣持がした。お宮もまた小さくはあつたががつしりした造りで、庭も社殿も清らかな松の落葉で掩はれてゐた。ことにいゝのは其處の遠望であつた。眼下の小さな入江、入江の澄んだ潮の色、みないかにも綺麗で、やゝ離れた沖の島の數々、更に遠く眺めらるゝ四國路の高い山脈、すべてが明るく美しく、それこそ繪の樣な景色であつた。
其處から二三丁下つたところに所謂《いはゆる》行宮《あんぐう》の跡があつた。其處も前の上臈《じやうらふ》の庵のあとゝ同じく小さな谷間、と云つても水もなにもない極めて小さな山襞《やまひだ》の一つに當つてゐた。松がまばらに立ち並び、雜木が混つてゐた。平地と云つても、ほんの手で掬《すく》ふほどの廣さでM――氏に言はるゝままに注意して見るとその平地が小さく三段に區分されてゐるのが眼についた。それ/″\の段の高さおよそ三四尺づつで、茂つた草を掻き分けて見ると僅かに其處に石垣か何かの跡らしいものが見分けられた。段々になつた一番下の所に警護の武士の詰所があり、二番目が先づお附の人の居た場所、一番上の狹い所が恐らく上皇御自身の御座所ででもあつたらう、といふM――老人の解釋であつた。とすると、御座所の御部屋の廣さは僅かに現今の四疊半敷にも足りない程度のものであつたに相違ないのである。そして、一番下の警護の者の詰所から十間ほどの下には、黒い岩が露はれて波がかすかに寄せてゐた。あたりを見※[#「廴+囘」、第4水準2−12−11]しても嶮しい山の傾斜のみで、此處のほかには一軒の家すら建てらるべき平地が見當らない。同じ島のうちでも、全然家とか村とかいふものから引離された、斯うした所を選んで御座所を作つたものと想像せらるゝのであつた。斯ういふ窮屈な寂しい所に永年流されておゐでになつて、やがてまた四國へ移され、其處で上皇はおかくれになつたのだつたといふ。
其處から路もない磯づたひを歩いて入江に沿うた一つの村に出た。玉積の浦というた。其處を右に切れて田圃を拔けるとまた一つ弓なりに彎曲した穩かな入江があり、廣々とした白砂の濱を際どつて一列の大きな松の並木が並び、松の蔭に四五軒の漁師小屋があつた。其處が名にふさはしい琴彈《ことひき》の濱といふのであつた。
丁度、晝前の網を曳きあげたところであつたが、一疋の鯛もかゝつてゐなかつた。次の網は午後の三四時の頃だといふ。途方に暮れて暫らく松の蔭に坐つてゐたが、やがてM――老人は急に立ち上つて漁師共の寄つてゐる小屋へ出かけて行つた。そしてにこ/\と笑ひながら歸つて來た。
『えゝことがある、今に仰山な鯛を見せてあげますぞ。』
老人からこつそりとわけを聞いてI――君も踊り上つて喜んだ。そして時計を出して見ながら、
『早う來んかなう。』
などと幾度となく繰返して私の顏と沖の方とをかたみがはりに眺めて笑つてゐた。その間に老人は一人の漁師を走らせて酒や酢醤油をとり寄せた。
程なく右手に突き出た岬のはなの沖合に何やら大きな旗をたてた一艘の發動機船の姿が見えた。
『來た/\。』
さう叫びながら漁師たちは惶《
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