りたが、其からさきの豫定がまだ判然と頭のなかに出來てゐなかつた。そして子供らしい胸騷ぎを覺えながら、兎も角もぶら/\と海岸沿ひに歩き出した。雨は急に強く、洋傘がしきりに漏る。街はまた意外に大きくも賑かでもないらしく、少し歩いてゐるうちに間もなく其處等中魚の臭《にほひ》のする漁師町に入り込んだ。鰹の大漁と見え、到るところ眼の活きた青紫の鮮かなのが轉がしてある。或所ではせつせと車に積み、或所では大きな釜に入れて※[#「火+(世/木)」、第3水準1−87−56]《ゆ》でてゐた。
 幾ら歩いてゐても際《きり》が無いので、幸ひ眼に入つた海の上にかけ出しになつてゐる茶店に寄つて、そこにも店さきに投《はう》つてある鰹を切つて貰ひ、一杯飮み始めた。濡れた手提から地圖を引き出して茶店の主人を相手に奈智や新宮への里程などを訊いてゐるうちに、私は不圖《ふと》この勝浦の附近に温泉の記號のつけてあるのを見出した。主人に訊くと、彼は窓をあけてこの圓い入江のあちこちを指さしながら、彼處に見えるのが何、こちらに見えるのが何、いま一つ向うの崎を越すと何といふのがあるといふ。斯う鼻のさきに幾つとなく温泉のあることを聞いて何といふ事なく私は嬉しくなつた。そして立つて窓際に主人と竝びながら其處此處と眼を移して、丁度そこから正面に見える彼處は何といふのだと訊くと、赤島だといふ。ひた/\に海に沿うた木立の深げな中に靜かに家が見えて居る。行くなら船で渡るのだが、呼んで來てやらうかといふので早速頼んで其處に行くことにきめた。
 小さな船で五六分間も漕がれてゐると、直ぐに着いた。森閑《しんかん》とした家の中から女中が出て來て荷物を受取る。何軒もあるのかと思つてゐたらこの家ただ一軒しか無いのであつた。海に面した二階の一室に通されて、やれ/\と腰を下すと四邊《あたり》に客も無いらしくまつたく森《しん》としてゐる。湯はぬるいがまた極めて靜かで、湯槽《ゆぶね》の縁に頭を載せてゐると、かすかに浪の寄る音が聞えて來る。湯から出て庭さきの浪打際に立つてゐると、小さな魚が無數にそこらに泳いでゐる。磯魚の常で何とも云へぬ鮮麗な色彩をしたのなども混つてゐる。藻がかすかに搖れて、それと共にその魚の體も搖れてゐる樣だ。雨は先刻《さつき》から霽《あが》つてゐたが、對岸の山から山へかけて、白雲も次第に上に靡いて、此處からもまた例の大きな瀧が望
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