來る地方の學者――中學の教師などが旅籠屋《はたごや》の無いまゝによく自分の家に泊つては、そんな話をして聞かせた。平家の殘黨のかくれ棲《す》んだといふ説も或は眞に近い、よく檢べたら必ずその子孫が存在して居るに相違ないとも言つた。斯かる話は斯かる峽間の山村に生れたわが少年の水々しい心を、いやに深く刺戟《しげき》したものであつた。自分の家は村内一二の舊家を以て自任し、太刀もあり槍もあり、櫃《ひつ》の中には縅《おどし》の腐れた鎧もある。
自分の八歳九歳のころ、村に一軒の小學校があつた。とある小山の麓に僅かに倒れ殘つた荒屋《あばらや》が即ちそれで、茅葺《かやぶき》の屋根は剥がれ、壁は壞《こは》れて、普通の住宅《すみか》であつたのを無理に教場らしく間に合せたため、室内には不細工千萬に古柱が幾本も突立つてゐた。先生はこの近くの或る藩士の零落した老人で、自分の父が呼寄せて、郡長の前などをも具合よく繕《つくろ》つて永くその村に勤めさせてゐたものであつた。恐しい酒呑みで頑固屋で、癇癪持《かんしやくも》ちで、そして極めての好人物《おひとよし》であつた。自分は奇妙にこの老人から可愛がられ、清書がよく出來た本
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