古い村
若山牧水

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)日向國《ひうがのくに》

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)空冥|界《さかひ》を

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
   (数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)振※[#「廴+囘」、第4水準2−12−11]す

/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)なか/\に
*濁点付きの二倍の踊り字は「/″\」
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 自分の故郷は日向國《ひうがのくに》の山奧である。恐しく山岳の重疊した峽間《けふかん》に、紐のやうな細い溪が深く流れて、溪に沿うてほん[#「ほん」に傍点]の僅かばかりの平地がある。その平地の其處此處に二軒三軒とあはれな人家が散在して、木がくれにかすかな煙をあげて居る。自分の生れた家もその中に混《まじ》つて居るので、白髮《しらが》ばかりのわが老父母はいまだに健在である。
 斯く山深く人煙また極めて疎《そ》なるに係らず、わが生れた村の歴史は可なりに古いらしい。矢の根石や曲玉《まがたま》管玉等を採集に來る地方の學者――中學の教師などが旅籠屋《はたごや》の無いまゝによく自分の家に泊つては、そんな話をして聞かせた。平家の殘黨のかくれ棲《す》んだといふ説も或は眞に近い、よく檢べたら必ずその子孫が存在して居るに相違ないとも言つた。斯かる話は斯かる峽間の山村に生れたわが少年の水々しい心を、いやに深く刺戟《しげき》したものであつた。自分の家は村内一二の舊家を以て自任し、太刀もあり槍もあり、櫃《ひつ》の中には縅《おどし》の腐れた鎧もある。
 自分の八歳九歳のころ、村に一軒の小學校があつた。とある小山の麓に僅かに倒れ殘つた荒屋《あばらや》が即ちそれで、茅葺《かやぶき》の屋根は剥がれ、壁は壞《こは》れて、普通の住宅《すみか》であつたのを無理に教場らしく間に合せたため、室内には不細工千萬に古柱が幾本も突立つてゐた。先生はこの近くの或る藩士の零落した老人で、自分の父が呼寄せて、郡長の前などをも具合よく繕《つくろ》つて永くその村に勤めさせてゐたものであつた。恐しい酒呑みで頑固屋で、癇癪持《かんしやくも》ちで、そして極めての好人物《おひとよし》であつた。自分は奇妙にこの老人から可愛がられ、清書がよく出來た本
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