金比羅參り
若山牧水

−−
【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)村井の武《たけ》ちやん

|:ルビの付いていない漢字とルビの付く漢字の境の記号
(例)郷里|坪谷《つぼや》村の

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)のんき者[#「のんき者」に傍点]

/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)いろ/\の話にも
−−

 少年世界愛讀者諸君。これはわたしの小さかつた時の思ひ出話で、小説ではありませぬ。地名人名等、すべて本名を用ゐてあります。
 わたしの十二歳の春、丁度高等の二年から三年に移らうとしてゐた時の、今から三十三年以前の話です。その頃は小學校の學級の制度が現在とは違つてをり、尋常科高等科ともに四年づつになつてゐました。ですから高等二年といふと、現在の尋常六學年級に當ります。
 日向の國延岡町といひますと、今は相當開けてゐるさうですが、その頃は極くひつそりした田舍町でありました。でも、内藤豐後守といふ御譜代の殿樣のお城のあつた城下町だけに、寂しいけれど上品なところのある町でした。
 五個瀬川と大瀬川といふ二つの河が、丁度、島のやうにその町やその隣村をかこんで流れてゐました。――今でも流れてゐますが。
 町の西寄りのはづれに、城山といふ小さいけれど嶮しい山が孤立してゐました。名の示すごとくお城の跡の山で、千人殺などいふ高い石垣などもその一部に殘つてゐます。今は公園になつたとかでたいへん綺麗になつてゐるさうですが、わたしどもの少年の頃には草木の茂るにまかせた、荒れ廢れた舊城趾の山でした。
 たゞ、頂上に鐘つき堂と堂守の小屋とがあり、一時間ごとに鐘をついて、町や村の人たちに時間を知らせてをりました。今でも多分殘つてをりませう。
 三月のなかばすぎのよく晴れた日でありました。
 わたしは村井の武《たけ》ちやんといふ、同じ級の仲好しの友だちと二人で、この城山に登つて遊んでをりました。丁度、學年試驗が昨日から始つたといふ日曜日のことでした。昨日濟んだ試驗は算術と圖畫とであつたことを不思議によく覺えてゐます。試驗最中に山に登つて遊ぶなどといふとひどく怠惰者のやうに聞えますが、たしかに二人とものんき者[#「のんき者」に傍点]ではありました。いや、現在でもひと一倍ののんきもの[#「のんきもの」に傍点]なのです。武ちやんはいま東京驛前の大きなビルヂングに事務所をおいて、立派な建築技師になつてゐます。
 ほんたうによく晴れた春の日で、日向《ひうが》はごぞんじのとほり暖い國ですから、三月の中旬といふと、もう多分櫻の花なども咲きかけてゐたでありませう。雪雀も囀つてゐたに相違ありません。
 西南戰爭で有名な可愛嶽《えのたけ》は東に、北から西にかけては行騰《むかばき》山速日峰といふ大きな山々が屏風のやうに延岡平野をとりかこみ、平野のなかをば大瀬五個瀬の大きな河が流るゝともなく流れてをり、やがてその二つの河が相合して流れ落つる南のかたには、縹渺として限りのない日向洋《ひうがなだ》が、太平洋がうち開けてゐるのです。
 そして、すべてが霞んでゐました。野も霞み、河も霞み、山も霞み、海もまたよく凪いで夢のやうに霞んでをりました。眼下の延岡町も麗らかな日光を受けながらも、ほのかに霞んでをりました。
 どんなことを二人して話してゐましたか、多分試驗のこと、試驗休みに歸つてゆく郷里のことなどを話してゐたでありませう。武ちやんもわたしも、その延岡町から十里ほど引つ込んだ山奧の村からでてきて延岡高等小學校に遊學してゐたのです。武ちやんの村も、わたしの村も寂しい村で尋常小學校ばかりしか無かつたのです。いろ/\の話にも倦んだころ、ふつと武ちやんがいひました。
『繁《しげ》ちやん/\。ありう見ね。汽船が通つちよるよ』
 今では若山牧水などとむづかしい名をつけてゐますが、その頃は若山の繁ちやんであつたのです。なるほど、眞向うの海の片つ方の岬の端から、一艘の汽船が煙をあげてでてきました。
『ウム、大けな汽船《ふね》ぢやごたるネ』
 その頃の日向は、ほんたうにまだ開けてゐなかつたものですから、汽車は全然通じてゐず、港から港へ寄る汽船の數も、極く少なかつたのです。で、汽船を見ることがまだ珍しうございました。
 その汽船を眺めてゐるうちに、ふと、ある一つの聯想がわたしの頭に浮びました。そして、そのことを武ちやんに話しました。
 話とはかうなのです。ツイ一兩日前に、郷里の母親からわたしに手紙が來て、今度急に思ひたつて都農《つの》の義兄と一緒に讚岐《さぬき》の金比羅《こんぴら》さまにお參りする。そして、そのついでに大阪見物をもして來る、歸りには何かお土産を買つて來るがお前は何がほしいか、こちらあてに返事を出したのでは
次へ
全3ページ中1ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
若山 牧水 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング