もう間に合はぬから、何日までに細島港の船問屋日高屋に宛てゝ、手紙を出せばそれを受取つて汽船に乘る、と、いつて來てあつたのです。やれ嬉しやとあれを考へこれを考へ、土産物の種類を三つも四つも書きたてゝ、ツイ昨日細島港あてに手紙を出したところだつたのです。
 得意氣に、わたしがその土産物の名を竝べたてゝてゐると、武ちやんは默つてそれを聞いてゐましたが、やがて考へ深さうな顏をしてわたしに言ひました。
『繁ちやん、それアお前《め》も一緒に從《つ》いち行きね。行《い》た方がいゝが、……土産物《みやげもん》どん貰《もろ》ちよつたちつまらん。それア行たほがよつぽづいゝが……』
 これを聞くと、わたしは愕然としました。まつたく喫驚《びつくり》しました。今まで全然氣のつかなかつた一大事を、いま突然教へられたやうな驚きであつたのです。忽ち胸はどきどきとしだしましたが、それもすぐ納りました。
『でも、試驗があるぢアねエけ』
『試驗どま、どうでむいゝが、お前はゆう[#「ゆう」に傍点](能く[#「能く」に傍点]の意)出來なるとぢアかに、先生が落第やさせならんが』
 これを聞くと、わたしの胸はまたどき/\とし始めました。
 汽船は今は全く岬を離れて、丁度眞向ひの沖の深い/\霞のなかに、その煙を靡かせてゐました。沖あひ遙かに通つてゐるこの汽船の姿は未知の世界に對する子供の憧憬心をそゝるに全く適當してゐました。が、わたしはその時のことを思ひ出すと、どうしたものか汽船そのものより、汽船を包んでゐた霞のことが先づ頭に浮びます。
 前もうしろも、上も下もまつたくとろり[#「とろり」に傍点]としたやうなうすむらさきの霞が、深々と垂れ籠めてゐましたが、十歳や十一歳の身そらで、だいそれた謀叛《むほん》をたくらんだといふのも一つはたしかに、その霞の誘惑だつたとわたしはいま思ひます。
 それからどのくらゐの間、二人してその城跡の山の上の枯草原で密議を凝らしましたか、二人とも非常な昂奮を抱いて山を降りる頃は、日はもうとつぷりと暮れてをりました。汽船はとつくの前に沖合を通り過ぎ、一方の方に突き出てゐる岬の蔭に姿をかくしてゐたのです。
 密議の結果はかうです。武ちやんは明日學校で、繁ちやんは郷里の阿母さんが急病で迎ひが來て歸りました、と先生に屆けること。わたしは今夜書置の手紙を書いて、明日の朝それを机の上において、いつも學校にゆくやうな風をして宿を出ること。そして、郷里には歸らず、一直線に細島港に向つて走ること、その他でありました。當時わたしの預けられてゐましたのは評判のやかまし屋の士族の家でありましたので、正直に打ちあけて願つた所で、とても許される筈はない。許されるどころか、拳固の二つ三つは當然覺悟しなくてはならない。書置に詳しく書いておいて、逃げ出すが一番安全の策だといふことに、決つたのです。
 事はすべて計畫どほりに運ばれました。延岡から細島港まで六里あります。その間をわたしは殆んど走りづめに走りました。さう急ぐことはないのだが、脚がひとりでに走つてゐるのです。しかも、細島に近づいた所では大膽にも山越の近道をやりました。山に入つて近所に人のゐなくなつたのを知るや否や、わたしは泣きながら走りました。初めはしく/\と泣き、後には大聲をあげて泣きました。何故、泣いたか、わたしにもよく解りません。諸君の御推察にまかせます。
 細島港の日高屋は、船問屋に旅館業其他を兼ねた大きな家でありました。わたしのその家に入つたのは初めてゞしたが、わたしの家とは舊《ふる》くからの知合で、この家の人でわたしを知つてゐるのが二三人ありました。で、たいへん都合よく、十一歳の少年は一人前の旅客として、ある一室に通されました。そして、胸を躍らせつゞけに、その日の夕方を待つことになりました。
 その日の夕方、豫定どほりに母と都農《つの》の義兄とは馬車でその宿にやつて來ました。都農の義兄といふのは都農といふ町で肥料雜穀商を營んでをり、その處へわたしの一番上の姉が嫁いでゐました。
 思ひもかけぬわたしの顏をその宿屋で見出した母の驚きは、これはもう言葉の外でありました。驚き、怒り、且つ嘆き、これからすぐ夜道をして延岡へ歸れ、自分も送つて行くといふのです。流石に、わたしも迷ひが覺めて、それではこれから夜道を踏んでまた六里を走らうと思ひ出しました。ところが都農の兄といふのが田舍者としては、割に手廣く商賣をしてゐますだけに度胸も大きく、わたしの今度の企てた亂暴にひどく興味を覺えたと見えて、わたしに味方し、しきりに母にとりなして呉れました。
 また折々商用でわたしの村に來て、わたしの家に泊つたりしてわたしを可愛がつて呉れてゐた日高屋の番頭の庄さんといふのも、わたしに代つて詫びつ頼みつして呉れましたので、終《つひ》には母の怒も
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