一家
若山牧水
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)室《へや》に
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)幾分|頭腦《あたま》も
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)睨《ね》め※[#「廴+囘」、第4水準2−12−11]して居る。
/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)いろ/\
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友人と共に夕食後の散歩から歸つて來たのは丁度七時前であつた。夏の初めにありがちのいやに蒸し暑い風の無い重々しい氣の耐へがたいまで身に迫つて來る日で、室《へや》に入つて洋燈《ランプ》を點けるのも懶《ものう》いので、暫くは戲談口《じやうだんぐち》などきき合ひながら、黄昏《たそがれ》の微光の漂つて居る室の中に、長々と寢轉んでゐた。
しばらくして友が先づ起き上つて灯を點けた。その明るさが室の内を照らし出すと、幾分|頭腦《あたま》も明瞭《はつきり》したやうで先刻《さつき》途中で買つて來た菓子の袋を袂から取り出して茶道具を引寄せた。そして自分は湯を貰ひに二階から勝手に降りた。折惡しくすつかり冷え切つてゐますので沸かして持つて參ります、と宿の主婦《おかみ》は周章《うろた》へて炭を火鉢につぐ。宿といつても此家《ここ》は普通《なみ》の下宿ではない、ただ二階の二間《ふたま》を友人と共に借切つて賄《まかなひ》をつけて貰つてるといふ所謂《いはゆる》素人下宿の一つである。自分等の引越して來たのはつい三ヶ月ほど以前《まへ》であつた。
序でに便所に入つて、二階の室に歸つて行くと、待ち兼ねてゐたらしい友は自分の素手《すで》なのを見て
「又か?」
と、眉をひそめて、苦笑を浮べる。
無言に點頭《うなづ》いて、自分は坐つてまた横になつて、先づ菓子を頬張つた。渇き切つた咽喉を通つて行くその不味《まづさ》加減と云つたら無い。思はずも顏をしかめざるを得なかつた。
自身にもこの經驗をやつたらしい友は、微笑みながら自分のこのさまを見守つてゐたが、
「どうも困るね、此家《ここ》の細君にも。」
と低聲《こごゑ》で言つて、
「何時《いつ》行つてみても火鉢に火の氣のあつたことは無い。」
と、あとは大眞面目に不足極まるといふ顏をする。
「まつたくだ。
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