ひ耽ることが多い、或は忍ぶ戀路に身を殺すなどといふやうな類《たぐひ》もあらうし、或は亭主の甲斐性なしを齒掻ゆく思ふといふのもあらうし、或は物見遊山に出かけたいといふもの、或は麗衣美食を希ふもの、極く小にしては嫉妬とか、愚痴とか種々樣々なものを、無理に内心に包み込んで居るに相違ない。
 ところが此家《ここ》の細君に至つては殆んどそれが皆無に近いらしい。戀の色のといふことは小説本で見たことも無いだらうし、第一當時二十一二歳の者が四十歳近い男と結婚したといふのを見てもよく解らう。現に自分等がここに移つて以來夫婦らしい愛情の表れた事などを見たことがなく、一日中に利《き》き合つて居る夫婦の語數もほんの數へ上げる位ゐにすぎぬ。家計の不如意で債鬼門に群るをさへ別に氣にかけぬのは前にも言つた。一軒の酒屋からは二月とは續いて持つて來ぬやうに借りて飮む、毎晩四合の酒に對しても細君別に何の述懷も無いらしい。物見遊山の、美衣美食のと夢にさへ見たことがあるかどうか頗る怪しいものだ。曾て自分等が細君を上野の花見かたがた目下開會中の博覽會見物に誘ふたことがある。主人も行くがいいと勸め、我々|兩人《ふたり》もたつてと言つたのだが、妾《わたし》はそれよりも自宅《うち》で寢て居る方がいいとか言つて終《つひ》に行かなかつた。二三ヶ月の間に町内の八百屋と肴屋とに出る外細君の外出姿を自分等は未だ曾て見かけたことがないのである。
 であるから、家内に大した風波の起らう筈もないが、家庭らしい温みも到底見出し得ない。良人に對してはたゞ盲從一方、口答へ一つしたこともなければ意見の一つ言つたこともない。兩人《ふたり》の子供に對してさへ殆んど母親らしい愛情を有つて居るとは思へぬ。
 曾て姉妹《きやうだい》とも同時に流行の麻疹《はしか》に罹つたことがある。最初は非常の熱で、食事も何も進まなかつた。その當時の或る夜自分は十時頃でもあつたか外出先から歸つて來た。所が、しきりに子供が泣いて居る。それも病體ではあるしよほど久しく泣いてゐたものと見えその聲もすつかり勞れ切つて呻吟《うめ》くやうになつてゐた。兩人《ふたり》の病人を殘して夫婦とも何處へ行つたのだらうと一度昇りかけた階子段《はしごだん》から降りて子供の寢てをる室《へや》を窺《のぞ》いて見ると、驚くべし細君はその子供の泣く枕上に坐つてせつせ[#「せつせ」に傍点]と白河夜舟
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