今言つたのは極《ご》く些細の例を取つたのだが、萬事がさうだ。どんな事でも皆|失策《おちど》といつたら細君が背負ふんだぜ。そして愚にもつかぬ事を取つ捉へてあの爺さんが無茶苦茶に呶鳴り立てて終《つひ》には打抛《ぶんなぐ》る。然るに矢張り彼女《かれ》は大平氣さ。何日《いつ》ぞやは障子を開けておいたのが惡いとかいつて、突然手近にあつた子供の算盤《そろばん》で細君の横面《よこつら》を思ひきり抛《なぐ》つた。細君の顏はみる/\腫れ上つた、眼にも血が浸《にじ》んで來た。僕はそれを見て可哀相で耐《たま》らんので、そのあとで心を籠めて慰めようと、一二言言ひかくると、彼女《かれ》は曰くサ、否《いえ》ネ、向うが鐵鎚《かなづち》で此方も鐵鎚なら火も出ませうけれど、此方は眞綿なんですからね、とその腫れた面を平氣で振り立てて、誰からか教《をそ》はつて來たらしい文句を飽くまでも悟り濟ましたやうに得意然として言つてるぢやないか。僕は一言も返事することが出來なかつた。」
不圖《ふと》したことから話はいつもよく出る細君の性格研究に移つてしまつた。自分も常に見聞してゐる事實ではあるし、つい惹きこまれて身を入れて聽いて居ると、不意に階下《した》で子供の笑ひ聲が聞えた。續いて現に話の題目に上つて居る細君の笑ふのもきこえる。いつも乍らの力のない面白くも無さ相な調子である。細君といふのは三十五六歳の顏容子《かほかたち》も先づ人並の方であらうが、至つて表情に乏しい、乏しいといふより殆んど零《ぜろ》に近いほど虚心《うつかり》した風をして居るのである。亭主はそれより十五六歳も年長で兩人《ふたり》の中に女の子供が兩人《ふたり》ある。昨年の秋郷里の名古屋から上京して來たとかで亭主は目下某官署の腰辨を勤めて居るのである。
いま友人の語つて居るやうに、此家《ここ》の細君は確かに異《ちが》つた性質を有《も》つて居る。萬事が消極的で、自ら進んでどう爲ようといふやうな事は假初《かりそめ》にもあつた例《ためし》がない。いや、消極的といふと大いに語弊があるので、今より以前の女大學流で育て上げられた日本の女性は大方が消極的であるのであるが、此家《ここ》のはそれとも違ふ。その一般の婦人といふのは幼い時の教育や永らくの習慣やらで行爲の上には萬事控へ目であつても、負けず嫌ひの虚榮心に富んだ感情的のものであるだけ内心では種々《いろ/\》と思
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