。
が、斯ういふ具合に述べ立てらるると、世に一人の父親が死んだといふ大きな事實はどうしても頭の中に明らかに映つて來ないので、自然形式的の挨拶しか出て來ない。それでも、其場のつくろひに、まだそれほどのお年でもなかつたでせうに、などと言ふと、
「エ、今年で五十七か八か九かでしたよ。イエもう妾《わたし》は去年家を出る時にお別れのつもりで居ましたから、どうせ斷念《あきら》めてはゐました。」
と、例の悟つた風をわざ/\しいやうに現して見せる。いよ/\こちらでも愁傷げに裝ふことすら出來にくい。友はまた驚き切つたといふ風に一語をも發せずに居る。微かな風が窓から流れてランプの白い灯《ひ》がこころもち動いて居る。黄昏《たそがれ》の靜けさはそぞろに室に充ちて居る。
「それでも……さうですな、さう言へばさうですけれど、……阿父《おとう》さんの方で會ひたかつたでせう。」
「それはね、少しは何とか思つたでせうけれど、……思つたところで仕樣のないことなのですからねえ。」
と、また微笑《ほほゑ》まうとする。
「阿母さんはまだお達者なのですか。」
自分は今度は他のことを訊いてみた。
「エ、彼女《あれ》こそ病身なんですが、まだ何とも音信《たより》がありません。」
「お寂しいでせうな、その阿母樣が。」
突然友が口を入れた。
「エ、それはね、暫くは淋しうございませうよ。」
「貴女《あなた》も寂しうございませう。」
にや/\しながら彼《かれ》は自分の方を見※[#「廴+囘」、第4水準2−12−11]してゆるやかに斯う言つた。でも彼女《かれ》は頗る平氣で、
「エ、でもね、どうせ女は家を出る時が別離《わかれ》だと言ひますから……」
「で、お歸國《かへり》にでもなりますか、貴女《あなた》は?」
自分は見かねてまた彼女《かれ》の話の腰を折つた。
「アノ良人《うち》では歸れと言ひますけれど、歸つたところでね……それに十日に死んだとしますと今日はもう十四日ですから……今から歸つたところで仕樣もありませんし……」
「お墓があるではありませんか。それにその病身の阿母さんも待つておゐでではありませんか。」
耐《たま》りかねたといふ樣子で友は詰《なぢ》るやうに言つた。
「さうですね、それはさうですけれど……」
と、苦もなく言つて、茫然《ぼんやり》窓越しに向うの空を眺めて居る。暮れの遲い空には尚ほ一抹の微光が一
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