の村のことゝて、わたしの七歳八歳のころには普通の小學校はまだできてゐなかつた。在るにはあつたがいはば昔の寺小屋の少し變つたやうなものであつた。うやむやのうちに尋常小學を過し、十歳のとき、村から十里あまり離れた城下町である延岡に出て高等小學校に入つた。そして、やがてその土地に創立された延岡中學校の第一囘入學生として入學した。
だから、わたしは小學生の時から(大抵は中學か專門學校になつてゞあるが)『歸省』の味を味はつた。冬と夏との休暇、それを待ち受けて行く喜び樂しみの、なんと深いものであつたか。十歳や十一二の身でわたしはその十里の道を終始殆んど小走りに走つて家に歸つた。延岡から富高まではそのころでも馬車があつたが、日に幾度だか、或はまた出るか出ないか解らない状態であつたので、少年の氣短にはそんなものに頼つてゐる餘裕がなかつた。ひとりで走つた方が氣持がよかつた。
冬の休みは短かつた。一週間か十日ぐらゐのものであつたらう。その間にお正月があつたりして、何か知らわけもわからずに過ごしてしまふのが常であつた。だが、夏休みは永かつた、ひと月であつた。このひと月の間をば殆んど毎日釣をして過ごした。
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