鮎釣に過した夏休み
若山牧水

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)日向《ひうが》

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)明治[#「明治」は底本では「昭治」と誤記]

/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)いよ/\となると、
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 わたしは、日向《ひうが》うまれである。むづかしくいふと宮崎縣東臼杵郡東郷村大字坪谷村小字石原一番戸に生れた。明治[#「明治」は底本では「昭治」と誤記]十八年八月廿四日のことであつたさうだ。村は尾鈴山の北麓に當る。そこの溪間だ。この溪は山陰《やまげ》村にて耳川に注ぎ、やがて美々津にて海に入る。山陰村より美々津港までの溪谷美(といつても立派な河であるが)は素晴らしいものであるが、邊鄙《へんぴ》のことゝて誰も知るまい。同地方特産の木炭の俵の上に乘せられてこの急瀬相次ぐ耳川を下ることは非常に愉快である。下り終ると美々津の港の河口に日向洋の白浪の立つてゐるのがそこの砂濱の上に見える。小さい時山奧から出て來てこの浪といふものを見た時はほんとに驚喜したものであつた。
 さうした、山あひの村のことゝて、わたしの七歳八歳のころには普通の小學校はまだできてゐなかつた。在るにはあつたがいはば昔の寺小屋の少し變つたやうなものであつた。うやむやのうちに尋常小學を過し、十歳のとき、村から十里あまり離れた城下町である延岡に出て高等小學校に入つた。そして、やがてその土地に創立された延岡中學校の第一囘入學生として入學した。
 だから、わたしは小學生の時から(大抵は中學か專門學校になつてゞあるが)『歸省』の味を味はつた。冬と夏との休暇、それを待ち受けて行く喜び樂しみの、なんと深いものであつたか。十歳や十一二の身でわたしはその十里の道を終始殆んど小走りに走つて家に歸つた。延岡から富高まではそのころでも馬車があつたが、日に幾度だか、或はまた出るか出ないか解らない状態であつたので、少年の氣短にはそんなものに頼つてゐる餘裕がなかつた。ひとりで走つた方が氣持がよかつた。
 冬の休みは短かつた。一週間か十日ぐらゐのものであつたらう。その間にお正月があつたりして、何か知らわけもわからずに過ごしてしまふのが常であつた。だが、夏休みは永かつた、ひと月であつた。このひと月の間をば殆んど毎日釣をして過ごした。
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