て來るのに出會つた。眞先の一人だけが眼明で、あとはみな盲目である。そして各自に大きな紺の風呂敷包を背負つてゐる。訊けばこれが有名な越後の瞽女《ごぜ》である相だ。收穫前の一寸した農閑期を狙つて稼ぎに出て來て、雪の來る少し前に斯うして歸つてゆくのだといふ。
「法師泊りでせうから、これが昨夜だつたら三味や唄が聞かれたのでしたがね。」
 とM―君が笑つた。それを聞きながら私はフツと或る事を思ひついたが、ひそかに苦笑して默つてしまつた。宿屋で聞かうよりこのまゝこの山路で呼びとめて彼等に唄はせて見たかつた。然し、さういふ事をするには二人の同伴者が餘りに善良な青年である事にも氣がついたのだ。驚いた事にはその三々五々の組が二三町の間も續いた。すべてゞ三十人はゐたであらう。落葉の上に彼等を坐らせ、その一人二人に三味を掻き鳴らさせたならば、蓋し忘れ難い記憶になつたであらうものをと、そゞろに殘り惜しくも振返へられた。這ふ樣にして登つてゐる彼等の姿は、一町二町の間をおいて落葉した山の日向に續いて見えた。
 猿ヶ京村を出外れた道下の笹の湯温泉で晝食をとつた。相迫つた斷崖の片側の中腹に在る一軒家で、その二階から斜め眞上に相生《あひおひ》橋が仰がれた。相生橋は群馬縣で第二番目に高い橋だといふ事である。切り立つた斷崖の眞中どころに鎹の樣にして架つてゐる。高さ二十五間、欄干に倚つて下を見ると膽の冷ゆる思ひがした。しかもその兩岸の崖にはとり/″\の雜木が鮮かに紅葉してゐるのであつた。
 湯の宿温泉まで來ると私はひどく身體の疲勞を感じた。數日の歩きづめとこの一二晩の睡眠不足とのためである。其處で二人の青年に別れて、日はまだ高かつたが、一人だけ其處の宿屋に泊る事にした。もつともM―君は自分の村を行きすぎ其處まで見送つて來てくれたのであつた。U―君とは明日また沼田で逢ふ約束をした。
 一人になると、一層疲勞が出て來た。で、一浴後直ちに床を延べて寢てしまつた。一時間も眠つたと思ふ頃、女中が來てあなたは若山といふ人ではないかと訊く。不思議に思ひながらさうだと答へると一枚の名刺を出して斯ういふ人が逢ひ度いと下に來てゐるといふ。見ると驚いた、昨日その留守宅に寄つて來たH―君であつた。仙臺からの歸途沼田の本屋に寄つて私達が一泊の豫定で法師に行つた事を聞き、ともすると途中で會ふかも知れぬと言はれて途々氣をつけて來た。そ
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