き、それに従って、映画の新鮮な味を失うまいと心|懸《が》けた。果してそれは大成功だった。会主の狭い頭脳から出るものよりも、同好者の天才的頭脳を沢山に借りあつめることが、いかに素晴らしい映画を後から後へと作りあげたか、云うまでもない。目賀野千吉は、その方面での、第一功労者にあげねばならない人物だった。
 会は大変|儲《もう》かった。会は彼の功労を非常に多《た》とし、遂《つい》に千五百円を投げ出して、新邸宅を建てて彼に贈った。
「ほほう。あんな方面の労務|出資《しゅっし》が、こんなに明るい新築の邸宅《ていたく》になるなんて、世の中は面白いものだナ」
 彼は満足そうに独言《ひとりごと》を云って、白い壁にめぐらされた洋風間に持ちこんだベッドの上に長々と伸びた。真白な天井《てんじょう》だった。新しいというのは、まことに気持がいいものだ。蠅が一匹止まっている。それさえ何となく、ホーム・スウィート・ホームで、明朗さを与えるもののように思われた。蠅のやつも、恐らく伸び伸びと、この麗《うらら》かな部屋に逆様《さかさま》になって睡《ねむ》っていることであろう。
 彼はうららかな生活をしみじみと味わって、幸福感に浸《ひた》った。いままでの変態的《へんたいてき》な気持がだんだん取れてくるように感じた。もうあの夜の映画観賞会には、なるべく出ないようにしようとさえ考えた。明るい生活がだんだんと、彼の心を正しい道にひき戻していったのだった。
 しかしそれと共に、彼はなんだか非常に頼《たよ》りなさを感じていった。淋《さび》しさというものかも知れなかった。血の通《かよ》っている身体でありながら、まるで鉱石《こうせき》で作った身体をもっているような気がして来た。なにが物足りないのだ。なにが淋しいのだ。
「そうだ、妻君《さいくん》を貰おう!」
 彼は、このスウィート・ホームに欠けている第一番のものに、よくも今まで気がつかなかったものだと感心したくらいだった。
 目賀野千吉は、彼の決心を早速会主に伝達した。
「ああ、お嫁さんなの……」
 と会主は大きく肯《うなず》いてみせた。
「いいのがあるワ。あたしの遠縁《とおえん》の娘《こ》だけれど。丸ぽちゃで、色が白くって、そりゃ綺麗な子よ」
「へえ! それを僕にくれますか」
「まあ、くれるなんて。貰っていただくんだわ。ほほほほ」
 と会主は吃驚《びっくり》するような大きな顔で笑った。
 そんなわけで、彼は間もなく、新邸《しんてい》の中にまたもう一つ新しく素晴らしいものを加えた。それは生々《なまなま》しい新妻《にいづま》であることは云うまでもあるまい。
 新世帯というのを持ったものは誰でも覚えがあるように、三ヶ月というものは夢のように過ぎた。妻君は一向子供を生みそうもなかった代りに、ますます美しくなっていった。やがて一年の歳月が流れた。その間《かん》、彼はあらゆる角度から、妻君という女を味わってしまった。そのあとに来たものは、かねて唱《とな》えられている窒息《ちっそく》しそうな倦怠《けんたい》だった。彼の過去の精神|酷使《こくし》が、倦怠期を迎えるに至る期限をたいへん縮めたことは無論である。彼はひたすら、刺戟《しげき》に乾いた。なにか、彼を昂奮させてくれるものはないか。彼は妻君が寝台の上に睡ってしまった後も、一人で安楽椅子《あんらくいす》によりながら、考えこんだ。白い天井を見上げると、黒い蠅が一匹、絵に書いたように止まっていた。それをボンヤリ眺《なが》ているうちに、彼は思いがけないことに気がついた。
「あの蠅というやつは、もう先《せん》にも、あすこに止まっていたではないか。それが今も尚《なお》、あすこに止まっている。あれは、先の蠅と同じ蠅かしら。違うかしら。もし同じ蠅だとしたら生きているのか死んでいるのか」
 彼は不図《ふと》そんなことを思った。しかしそれだけでは、一向彼を昂奮に導くには足《た》りなかった。
「なにものか、自分を昂奮《こうふん》させてくれるものよ、出て来い!」
 彼はなおも執拗《しつよう》に、心の中で叫んだ。
「そうだ。あれしかない。古い手だが、暫く見ない。あれをまたすこし見れば、なんとかすこしは刺戟があるだろう」
 彼は昔の秘密の映画観賞会のことを思い出したのだった。
(三ヶ月ぶりだ。……)
 そう思いながら、彼は或るブローカーから切符を買うと、秘密の映画観賞会のある会合へ、こっそりと忍びこんだ。会主にも表向き会わないで、昂奮だけをソッと一人で持ってかえりたいと思ったからである。
 映画はスクリーンの上に、羞らいを捨てて、妖《あや》しく躍りだした。大勢の会員たちが自然に発する気味のわるい満悦《まんえつ》の声が、ひどく耳ざわりだった。しかし間もなく、心臓をギュッと握られたときの駭《おどろ》きに譬《たと》えたいも
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