のが彼を待っていようなどとは、気がつかなかった。ああ、突然の駭き。それはどこからうつしたものか、彼と妻君との戯《たわむ》れが長尺物《ちょうじゃくもの》になって、スクリーンの上にうつし出されたではないか!
「呀《あ》ッ。――」
 と彼は一言《ひとこと》叫んだなりに、呆然《ぼうぜん》としてしまった。
(何故だろう。何故だろう)
 彼は憤《いきどお》るよりも前に、まず駭《おどろ》き、羞《はじ》らい、懼《おそ》れ、転がるように会場から脱《ぬ》け出《い》でた。そして自分の部屋に帰って来て、安楽椅子の上に身を抛《な》げだした。そしてやっとすこし気を取り直したのだった。
(何故だろう。あの怪映画は、自分たちの楽しい遊戯を上の方から見下ろすように撮ってあった。一体どこから撮ったものだろう。撮るといって、どこからも撮れるようなものはないのに……)
 と、彼はいぶかしげに、頭の上を見上げた。そこには、依然として真新しい白壁の天井があるっきりだった。別にどこという窓も明いている風に見えなかった。ただ一つ、気になるといえば気になるのは、前から相《あい》も変らず、同じ場所にポツンと止まっている黒い大きい蠅が一匹であった。
「どうしてもあの蠅だ。なぜあの蠅だか知らないが、あれより外《ほか》に怪しい材料が見当らないのだ!」
 そう叫んだ彼は、セオリーを超越《ちょうえつ》して、梯子《はしご》を持ってきた。それから危い腰付でそれに上ると、天井へ手を伸ばした。蠅は何の苦もなくたちまち彼の指先に、捕《とら》えられた。しかしなんだか手触《てざわ》りがガサガサであって、生きている蠅のようでなかった。
「おや。――」
 彼は掌《てのひら》を上に蠅を転がして、仔細《しさい》に看《み》た。ああ、なんということであろう。それは本当の蠅ではなかった。薄い黒紗《こくしゃ》で作った作り物の蠅だった。天井にへばりついていたために、下からは本当の蠅としか見えなかったのだ。だが誰が天井にへばりついている一匹の蠅を、真物《ほんもの》か偽物《にせもの》かと疑うものがあろうか。
(誰が、なんの目的で、こんな偽蠅《にせばえ》を天井に止まらせていったのだろう!)
 彼は再び天井を仰《あお》いでみた。
「おや、まだ変なものがある!」
 よく見ると、それは蠅の止まっていたと同じ場所に明いている小さな孔《あな》だった。どうして孔が明《あ》いているのだろう!
 その瞬間、彼はハッと気がついた。
「畜生!」
 そう叫ぶと彼は、押入の扉《ドア》を荒々しく左右に開いた。そして天井裏へ潜《くぐ》りこんだ。そこで彼は不可解だった謎をとくことが出来た。あの孔の奥には、巧妙な映画の撮影機が隠されていた。目賀野千吉と新夫人との生活はあの孔《あな》からすっかり撮影され、彼が入った秘密映画会に映写されていたのであった。会主が家をくれたのも、その映画をうつさんがために外《ほか》ならなかった。なんとなれば、およそ彼ほどの好き者は、会主の知っている範囲では見当らなかったのだ。会主は彼が本気で実演してくれれば、どんなにか会員を喜ばせる映画が出来るか、それを知っていたのだ。むろん彼女は、新宅の建築費の十倍に近い金を既にあの映画によって儲《もう》けていたのだった。
 蠅は? 蠅は単に小さい孔を隠す楯《たて》にすぎなかった。薄い黒紗《こくしゃ》で出来ている蠅の身体はよく透《す》けて見えるので、撮影に当ってレンズの能力を大して損《そこな》うものではなかったのである。


   第四話 宇宙線


 宇宙線という恐ろしい放射線が発見されてから、まだいくばくも経《た》たないが、人間は恐ろしい生物だ、はや人造《じんぞう》宇宙線というものを作ることに成功した。あのX光線でさえ一ミリの鉛板《えんばん》を貫《つらぬ》きかねるのに、人造宇宙線は三十センチの鉛板も楽に貫く。だから鉄の扉《ドア》やコンクリートの厚い壁を貫くことなんか何でもない。人間の身体なんかお茶の子サイサイである。
 どこから飛んでくるか判らない宇宙線は、その強烈な力を発揮して、人間の知らぬ大昔から、人体を絶え間なくプスリプスリと刺《さ》し貫いているのだ。或るものは、心臓の真中を刺し貫いてゆく。また或るものは卵巣《らんそう》の中を刺し透し、或るものはまた、精虫《せいちゅう》の頭を掠《かす》めてゆく。こう言っている間も、私たちの全身は夥《おびただ》しい宇宙線でもってプスリプスリと縫われているのだ。
 一体、そんなにプスリと縫われていて差支《さしつか》えないものか。差支えないとは云えない、たとえば、精虫が卵子といま結合しようというときに、突然数万の宇宙線に刺し透《とお》されたとしたらどうであろう。お盆《ぼん》のように丸くなるべきだった顔が、俄然《がぜん》馬のように長い顔に歪《ゆが》められはしま
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