数えていって、十匹まで数えたが、それからあとは嫌《いや》になった。十匹以上、まだワンワンと居た。
(どうして蠅が、こう沢山居るのだろう)
 彼はようやく一つの手頃な問題にとりついたような気がした。別に解《と》けなくともよい。気に入る間だけ、舌の上に載《の》せた飴玉《あめだま》のように、あっちへ転がし、こっちへ転がしていればいいのだ。さて、蠅がどうしてこんなに止まっているのか。
(ウン、そうだ……)
 そうだ。蠅はさっきまで一匹も壁の上に止まっていたように思われない。蠅が急に壁の上に殖《ふ》えたのは、先刻《さっき》の豪雨《ごうう》があってから、こっちのことだ。
(そうだ。雨が降って、それで蠅が殖えたのだ。どうして殖えたのだ?)
 窓には硝子板《ガラスいた》なんてものが一枚も入っていなかった。板で作った戸はあったけれど、閉めてなかった。この窓から、あの蠅が飛びこんできたのに違いない。しかし飛びこんでくるとしても、この夥《おびただ》しい一群の蠅が押しよせるなんて、彼がこの小屋に住むようになった一年この方、いままでに無いことだった。
(なぜ、今日に限って、この夥しい蠅の一群が飛びこんで来たのだ。どこから、この夥しい蠅が来たのだ)
 彼の眼は次第に険悪《けんあく》の色を濃くしていった。
 どこから来たのだ、この夥しい蠅群は!
「ああッ。――」
 と彼は叫んだ。
「この蠅が来るためには、この家の外に、なにか蠅が沢山たかっている物体があるのだ。雨が降って――そして蠅が叩かれ、あわててこの窓から飛びこんできたのだ。そうだそうだ、それで謎は解ける!」
 彼は爛々《らんらん》たる眼で見入《みい》った。
(だが、その蠅の夥《おびただ》しくたかっている物体というのは、一体なにものだったろう)
 彼は急に落着かぬ様子になって、ブルブルと身体を慄《ふる》わした。両眼はカッと開き、われとわが頭のあたりにワナワナとふるえる両手を搦《から》みつけた。
「ああッ。――ああッ、あれだッ。あれだッ」
 彼は腰掛から急に立ち上った。釘《くぎ》をうったように棒立ちになった。ひどい痙攣《けいれん》が、彼の頬に匍《は》いのぼった。
「妻だ。妻の死体だッ」彼の声は醜《みにく》く皺枯《しわが》れていた。「妻の死体が、すぐそこの窓の下に埋《う》まっているのだ。それがもう腐って、ドンドン崩れて、その上に蠅がいっぱいたかっ
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