。しかし帆村はなにも応えなかった。帆村にもこの返事は直ぐには出来ないであろう。
 この応答《こたえ》が、もしすぐにこの場でできたとしたら、「蠅男」の正体は案外楽に解けたであろう。
 奇妙なる金具のギザギザ溝の痕!
 そのとき室の入口に、なにか騒がしい諍《いさか》いが始まった。
 踏台の上にいた検事はヨロヨロとした腰付で入口を見たが、ひと目で事情を悟った。
「オイ帆村君。被害者の令嬢がこの惨劇を感づいて入りたがっているようだ。君ひとつ、いい具合に扱ってくれないか。むろんここへ近付いてもかまわないが、その辺よろしくネ」
 帆村は検事の頼みによって、入口のところへ出ていった。警官が半狂乱の糸子を室内に入れまいとして骨を折っている。
 帆村はそれをやんわりと受取って、彼女の自制を求めた。糸子はすこし気を取直したように見えたが、こんどは帆村の胸にすがりつき、
「――たった一人の親の大事だすやないか。私《うち》は心配やよって、さっきから入口の前をひとりで見張ってたくらいや。警官隊もとんとあきまへんわ。警戒の場所を離れたりして、だらしがおまへんわ。そんなことやさかい、私のたった一人の親が殺されてしも
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