を見上げると、周囲の警官たちも、こわごわ同じように天井を見上げながら、頸を亀の子のように縮めた。
「鼠とちがうか。蛇が天井に巣をしとるのやないか。オイお松、ハッキリ返事をせい」
署長はすこし狼狽《ろうばい》の色を現わした。
「ちがいますがな、ちがいますがな。鼠があんな大きな音をたてますかいな。――蛇? 蛇が、こんな新築《しんだち》に入ってくるものでっしゃろか。ああ気持がわるい」
署長は、しばらく無言で、ただ獣のように低く唸っていた。が、急に腕時計を出してみて、
「ウム、いま十一時五十五分だ。――」
と叫んで、周囲をグルッと見廻したが、その人垣の外に、村松検事が皮肉たっぷりの笑みを浮べて立っているのを見つけると、
「ああ、検事さん。いまのお松の話お聞きでしたか。蠅男がこの厳重な警戒線を突破して天井裏を匍《は》うというのは、本当《ほんま》のことやと思われまへんが、時刻も時刻だすよって、一応主人公の安否を聞いてみたら思いますけれど、どないなもんでっしゃろ」
検事はパイプを口から離して、静かに云った。
「聞いてみない方より、聞いてみた方がいいだろうネ。しかしこんなくだらん騒ぎに、こんなに皆が一つ処に固まってしまうのじゃあ、完全な警戒|網《もう》でございとは、ちょっと云えないと思うが、どうだ」
「おお」と署長は始めて気がついたらしく、「これ皆、一体どうしたんや。よく注意しておいたのに、こう集って来たらあかへんがな。――ああ、あの部屋に間違いはあらへんやろな」
署長は慌ててそこを飛びだし、主人公の籠城している居間の方へ駈けだした。
「ウム、よかった。――」
署長は居間の前に、警官が一人立っているのを見て、ホッと安心した。
「オイ異状はないか。ずっとお前は、ここに頑張っていたんやろな」
「はア、さっきガチャンのときに、ちょっと動きましたが、すぐ引返して来て、此処に立ち続けて居ります」
と東京弁のその警官が応えた。
「なんや、やっぱり動いたのか」
「はア、ほんの一寸《ちょっと》です。一分か二分です」
「一分でも二分でも、そらあかんがな」
といったが、他の二人はどこへ行ったか居なかった。
「さあ、ちょっと中へ合図をしてみい」
警官は心得て、ドンドンドン、ドンドンと合図どおりに扉をうった。そしてそれをくりかえした。
「――御主人! 玉屋さーん」
署長は扉に口をあてんばかりにして呶鳴った。しかし内部からは、なんの応答も聞えなかった。
「こら怪ったいなことや。もっとドンドン叩いてみてくれ」
ドンドンドンと、扉はやけにうち叩かれた。主人の名を呼ぶ署長の声はだんだん疳高《かんだか》くなり、それと共に顔色が青くなっていった。
「――丁度午後十二時や。こらどうしたんやろか」
そのとき広い廊下の向うの隅にある棕櫚《しゅろ》の鉢植の蔭からヌッと姿を現わした者があった。
不思議なる惨劇《さんげき》
死と生とを決める刻限は、既に過ぎた。
死の宣告状をうけとったこの邸の主人玉屋総一郎は、自ら引籠った書斎のなかで、一体なにをしているのであろうか。その安否を気づかう警官隊が、入口の扉を破れるように叩いて総一郎を呼んでいるのに、彼は死んだのか生きているのか、中からは何の応答《いらえ》もない。扉の前に集る人々のどの顔にも、今やアリアリと不安の色が浮んだ。
そのとき、この扉の向い、丁度|棕櫚《しゅろ》の鉢植の置かれている陰から、ヌーッと現われたる人物……それは外でもない、主人総一郎の愛娘糸子の楚々たる姿だった。ところがこの糸子の顔色はどうしたものか真青であった。
「どうしたんです、お嬢さん」
と、これを逸早《いちはや》く見つけた帆村探偵が声をかけた。この声に、彼女の体は急にフラフラとなると、その場に仆れかけた。帆村は素早くそれを抱きとめた。
扉のまえでは、村松検事と正木署長の指揮によって、今や大勢の警官が扉をうち壊すためにドーンドーンと躰を扉にうちあてている。さしもの厳重な錠前も、その力には打ちかつことも出来ないと見えて、一回ごとに扉はガタガタとなっていく。そして遂に最後の一撃で、扉は大きな音をたてて、室内に転がった。
警官隊はどッと室内に躍りこんだ。つづいて村松検事と正木署長が入っていった。
「おお、これは――」
「うむ、これはえらいこっちゃ」
一同は躍りこんだときの激しい勢いもどこへやら、云いあわせたように、その場に立ち竦《すく》んだ。なるほどそれも無理なきことであった。なんということだ。今の今まで一生懸命に呼びかけていた主人総一郎が、書斎の天井からブラ下って死んでいるのであった。
すこし詳しく云えば、和服姿の総一郎が、天井に取付けられた大きな電灯の金具のところから一本の綱《つな》によって、頸部《けいぶ》を締められてブラ
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