て、雨戸をガラガラと開いた。とたんに彼は、狆《ちん》のように顔をしかめて、
「おう、臭《くさ》い。へんな臭《にお》いがする」
と吐きだすように云った。
前の往来で、臭《かざ》評定をしていた近所のうるさ方一同は、突然ガラガラと開いた雨戸の音に愕《おどろ》いて、ハッとお喋りを中止したが、帆村が自分たちと同じように鼻をクンクンいわせているのを見上げるや、一せいにニヤニヤ笑いだした。
「お客さん。怪《け》ったいな臭がしとりますやろ」
「おう。これは何処でやっているのかネ。ひどいネ」
「さあ何処やろかしらんいうて、いま相談してまんねけれど、ハッキリ何処やら分らしめへん。――お客さん、これ何の臭《かざ》や、分ってですか」
「さあ、こいつは――」
とはいったが、帆村はあとの言葉をそのまま嚥《の》みこんだ。そして彼は帯を締めなおすと、トントンと階段を下りて、玄関から外に出た。
「えらい早うまんな。お散歩どすか」
奥から飛んで出てきた仲働きのお手伝いさんが、慌《あわ》てて宿屋の焼印《やきいん》のある下駄《げた》を踏石の上に揃えた。
「ああ、この辺はいつもこんな臭いがするところなのかネ」
「いいえイナ。こないな妙な臭《かざ》は、今朝が初めてだす」
「そうかい。――で、この辺から一番近い火葬場は何処で、何町ぐらいあるネ」
「さあ、焼場で一番ちかいところ云うたら――天草《あまくさ》だすな。ここから西南に当ってまっしゃろな、道のりは小一里ありますな」
「ウム小一里、あまくさ[#「あまくさ」に傍点]ですか」
「これ、天草の焼場の臭いでっしゃろか」
「さあ、そいつはどうも何ともいえないネ」
帆村は「行っておいでやす」の声に送られて、ブラリと外に出た。別に彼は、この朝の臭気を嗅いで、それを事件と直覚したわけでもなく、またこんな旅先で彼の仕事とも関係のないことを細かくほじくる気もなかった。けれど、彼の全身にみなぎっている真実を求める心は、主人公の気づかぬ間に、いつしか彼を散歩と称して、臭気《しゅうき》漂《ただよ》う真只中《まっただなか》に押しやっていたのだった。
それは一種|香《かん》ばしいような、そして官能的なところもある悪臭だった。彼は歩いているうちに、臭気がたいへん濃く沈澱《ちんでん》している地区と、そうでなく臭気の淡い地区とがあるのを発見した。
(これは案外、近いところから臭気が出ているに違いない!)
臭気の源《みなもと》は案外近いところにある。もしそれが遠いところにあるものなれば、臭気は十分ひろがっていて、どこで嗅いでも同じ程度の臭気しかしない筈だった。だから彼は、この場合、臭気の源を程近い所と推定したのだった。
では近いとすれば、このような臭気を一体何処から出しているのだろう?
帆村は再び踵《きびす》をかえして、臭気が一番ひどく感ぜられた地区の方へ歩いていった。それは丁度或る町角になっていた。彼はそこに突立ったまま、しばらく四囲《あたり》を見まわしていたが、やがてポンと手をうった。
「――おお、あすこにいいものがあった。あれだ、あれだ」
そういった帆村の両眼は、人家の屋根の上をつきぬいてニョッキリ聳《そび》えたっている一つの消防派出所の大櫓《おおやぐら》にピンづけになっていた。
あの半鐘櫓《はんしょうやぐら》は、そもいかなる秘密を語ろうとはする?
灰色の奇人館
「オーイ君、なにか臭くはないかア」
と、帆村は櫓の下から、上を向いて叫んだ。
上では、丹前に宿屋の帯をしめた若い男が、櫓下でなにか喚《わめ》きたてているのに気がついた。といって彼は当番で見張り中の消防手なのだから、下りるわけにも行かない。そこでおいでおいでをして、梯子を上ってこいという意味の合図をした。
「よオし、ではいま上る――」
帆村荘六は、そこで尻端折《しりはしょ》りをして、冷い鉄梯子《てつばしご》につかまった。そして下駄をはいたまま、エッチラオッチラ上にのぼっていった。上にのぼるにつれ、すこし風が出てきて、彼は剃刀《かみそり》で撫でられるような冷さを頬に感じた。
「――なんですねン、下からえらい喚《わめ》いていてだしたが」
と、制服の外套の襟《えり》で頤《あご》を深く埋《うず》めた四十男の消防手が訊《き》いた。彼は帆村が下駄をはいて上ってきたのに、すこし呆《あき》れている風だった。
「おお、このへんな臭いだ。ここでもよく臭いますね。この臭いはいつから臭っていましたか」
「ああこの怪ったいな臭いですかいな。これ昨夜《ゆうべ》からしてましたがな。さよう、十時ごろでしたな。おう今、えらいプンプンしますな」
「そうですか。昨夜の十時ごろからですか」と帆村は肯《うなず》いて、今はもう八時だから丁度十時間経ったわけだなと思った。
「一体どの辺から匂って
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