い。腹腔をたち割って、腸を三分の一に縮めた。胃袋はすっかり取り去られて、食道と腸とが連結された。肺臓とか腎臓とか二つある内臓の一つは切除された。不用な骨や筋肉が取り去られた。満足なのは頸から上だけだった。四時間ほどのうちに遂に手術台の上の糊本の身体は、見るかげもなく小さく縮められた。まるで首の下に肉色の男枕をくくりつけたような畸形人間となり果てた。なんという無慚《むざん》な浅ましい姿に変ってしまったのだろう。
 鴨下ドクトルは、始めてホッと息をついた。こうして大実験のための手術だけは終ったのである。彼はなぜこんな残虐きわまる畸形人間を作ったのであろうか。
 鴨下ドクトルは、一つの大きな学説を持っていた。それをこの縮小人間によって確かめようと考えたのだ。その学説によると、もし人間が生きるのに直接必要でない肉体部分――つまり心臓や肺臓は是非必要だが、手足や二つ以上ある内臓は、これを切除するか又は一つに減らしてしまう。そうすると人間の脳力は、手足などのことに煩わされることがなくなり、結局今まで無駄につかっていた脳力が余ってくるから、従ってその人間は普通の人間よりも何倍も悧巧になる。――だろうというのが、縮小人間に対する鴨下ドクトルの学説だった。この大胆なる学説が、果して正しいかどうか、鴨下ドクトルはそれを人類文化に大なる貢献をする研究だと思い、遂にその実験台となる人間を親しい塩田検事正に無心したのである。そこで死刑囚糊本が選ばれ、大手術の結果、ここに通称「蠅男」の誕生となったものである。鴨下ドクトルの日記によれば、この縮小人間は体力の回復とともに、予期したとおり普通の人間とは比べものにならぬほどの悧巧さを示した。鴨下ドクトルの悦びは、何物にもたとえ難かったが、彼はこの発表をさしひかえて、更に縮小人間の完成に研究をすすめたのであった。蠅男は今やドクトルの懸けがえのない優れた助手だった。二人の共同研究で、電力や磁石で働くという巧妙な新義手や義足を作製した。この組立式の手足のため、蠅男の立居は非常に便利になった。実に愕くべき成功だった。
 しかし鴨下ドクトルは、どうやら大事なことを忘れていたようであった。ドクトルはそのことを日記の終りの方に自ら記しているが、それはこの蠅男の修理された脳力は、あまりにも超人的であって、不世出の大天才と折紙をつけられた鴨下ドクトルの脳力さえ、蠅男の脳力の前には太陽の傍の月のように見劣りがするという事実だった。それは愕くというよりも、むしろ恐ろしいことであった。ドクトルの日記は次のような文句をもって結ばれていた。
「――予はあまりにも、神を忘れて魔の学問の中に足を踏み入れすぎた形だ。予は『縮小人間』を拵《こしら》えたことを今や後悔している。出来るなら、今宵のうちにも、この『縮小人間』を殺してしまいたいと思う。そうすることが、自分の研究を永久に葬りさり、そして万一『縮小人間』が世の中に飛びだして、前代未聞の超人的暴行を働くのを予《あらかじ》め阻止することにもなるのだ。一刻も早く彼を殺さねばならぬ。しかし予は懼れる。あの悧発な『縮小人間』が予のこの危惧と殺意に気づかぬ筈はないのだ。今や時既に手遅れなのではあるまいか。
 予は今日になって、幼なきときに人手に預けてしまった只一人の子供カオルのことを想う。おお吾が愛するカオルよ。汝の父は愛しき御身を今日まで忘れていた。汝の父は、その罪のために、今や悪魔の牙に噛みくだかれようとしているのだ。罪の父はただひと目、御身の顔《かんばせ》を見たいと切望するが、その願いも今はもう空《むな》しき夢と諦めなければならないのかもしれない、噫《ああ》!」
 帆村の読みあげる天才ドクトルの切々の情をこめた日記の文句に、遺児カオルは怺《こら》えに怺《こら》えていた悲しみの泪をおさえかね、ワッと声をあげて愛人山治の膝に泣き崩れた。
 さて探偵帆村荘六の努力が遂に酬いられて前代未聞の「蠅男」の全貌が始めて明らかになった。中でも悦んだのは、府下を守る捜査陣であった。村松検事も自由の身となった。蠅男が検事に塩田先生殺しの罪をぬりつけようとした次第が明らかになったので。蠅男は鴨下ドクトルに化けて洗面所に入ると見せ、すぐさまその窓から法曹ビルの外壁を、あの巧妙な鉄の爪でもって匍いのぼり、窓の外から塩田先生の頭蓋骨に用意の文鎮《ぶんちん》を発射したことが判明したのだった。村松検事は、帆村の顔を見るや走りよって固い固い握手をした。それは冷静を以て聞える村松検事にしては、先例のない昂奮状態であった。帆村も強くその手を握りかえし、
「さあ、村松さん。ぐずぐずしてはいられませんよ。蠅男は想像以上に恐ろしい奴です。亡き鴨下ドクトルも、万一蠅男が市中にとび出したときには、その卓越した頭脳力をもって、どんな狂悪極まる暴行
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