動車をとばしていった。そして到着したところは、阪急の大阪駅乗車口であった。
 彼はそこで大勢の人をかきわけ、大きな声で宝塚ゆきの切符を買った。
 急行電車に乗りこんだ彼は、乱暴にも婦人優先席にどっかと腰を下ろすや、腕ぐみをして眼を閉じた。そして間もなく大きな鼾《いびき》をかきだすと見る間に、隣に着飾った若奥様らしい人の肩に凭《もた》れて、いい気持ちそうに眠ってしまった。
 車掌が起こしてくれなければ、彼はもっと睡っていたかも知れない。彼は慌てて、宝塚の終点に下りて、電柱の側らで犬のような背伸びをした。
 それから彼は、太い籐《とう》のステッキをふりふり、新温泉の方へ歩いていった。
 でも彼は、新温泉へ入場するのではなかった。彼はその前をズンズン通りすぎた。そして、やがて彼が足早に入っていったのは、池谷医師の控邸だった。それは先に、糸子が訪れた家であり、それよりもすこし前、池谷医師がお竜と思《おぼ》しき女と、肩をならべて入っていった家であった。
 入口の扉には、鍵がかかっていなかった。帆村は無遠慮にも、靴を履いたまま上にあがっていった。何を感じたものか、彼は各室を鄭重に廻っては、押入や戸棚を必ず開いてみた。そして壁や天井を、例の太い洋杖《ステッキ》でコンコンと叩いてみるのだった。
 階下が終ると、こんどは階上へのぼって、同じことを繰りかえした。
 でも、格別彼が大きい注意を払ったものもなく、別にポケットへねじ込んだものもなかった。十五分ばかりすると彼はまた玄関に姿を現わした。そして後をも見ず、その邸の門からスタスタと外へ出ていった。
 それから彼は、再び新温泉の前をとおりすぎ、橋を川向うへ渡った。そこには宝塚ホテルが厳然《げんぜん》と聳《そび》えていた。彼の姿はそのホテルのなかに吸いこまれてしまった。
 大川司法主任は、糸子の室の前の廊下で、朝刊を一生懸命に読みふけっているところだった。なにしろその朝刊の社会面と来たら、村松検事の殺人事件の記事で一杯であった。村松検事の大きな肖像写真が出ていて「検事か? 蠅男か?」と、ずいぶん無遠慮な疑問符号がつけてあった。
「恩師殺しに秘められたる千古の謎!」などという小表題《こみだし》で、三段ぬきで組んであった。
「ああ帆村はん。これ、なんちゅうことや。儂《わし》はもう、あんまり愕いたもんやで、頭脳が冬瓜《とうがん》のように、ぼけてしもたがな」
 そういって、大川司法主任は、新聞紙の上を大きな掌でもってピチャピチャと叩いた。
 帆村は、それには相手になろうともせず、室の中を指《ゆびさ》して、
「どうです。糸子さんは無事ですかネ」と訊いた。
「もちろん大丈夫だすわ。しかし昨夜も、えろう貴方はんのことを心配してだしたぜ。村松はんのことがなかったら二人して貴方はんに奢《おご》って貰わんならんとこや。ハッハッハッ」
 大川主任はいい機嫌で哄笑した。
 室のなかに入ってみると、糸子はもうすっかり元気を回復していた。ただ、まだ麻酔薬が完全にぬけきらないと見えて、いく分睡そうな顔つきは残っていたが……。
「まあ帆村はん。さっきの夢のつづきやのうて、ほんとの帆村はんが来てくれはったんやなア」
 糸子は、けさがた帆村の夢を見ていたらしく、帆村の顔を見て小さい吐息をついた。
 糸子があつく礼をいうのを、帆村は気軽に聞きながして、
「さあ、ここでちょっと糸子さんに折入って話をしたいことがあるんです。皆さん、ちょっと遠慮して下さいませんか」
 そういう帆村の申し出に、付き添いのお松をはじめ、看護婦や警官たちもゾロゾロと外へ出た。扉がピタリと閉って部屋には帆村と糸子の二人きりとなってしまった。
 帆村は何を話そうというのだろう。時刻は五分、十分と過ぎてゆき、廊下に佇《たたず》んで待っている人たちの気をいらだたせた。
 すると突然、糸子の金切り声が聞えた。扉がパッと明いて、糸子が寝衣《ねまき》のまま飛び出してきたのだ。
「――帆村はんの、あつかましいのに、うち呆れてしもうた。あんな人やあらへんと思うてたのにほんまにいやらしい人や。さあ、お松。もうこんなところに御厄介《ごやっかい》になっとることあらへんしい。はよ、うちへいのうやないか」
 お松は愕いて、
「まあ、どないしはったんや。えろう御恩になっとる帆村はんに、そんな口を利いては、すみまへんで――」
「御恩やいうたかて、あんないやらしい人から恩をうけとうもない。一刻もこんなところに居るのはいやや。さあ、すぐ帰るしい。お松はよ仕度をしとくれや」
 何が糸子を憤《いきどお》らせたのであろうか。あれほど帆村に対し信頼し、帆村に対してかなりの愛着を持っていたと思われる糸子が、何の話かは知らぬが、突然憤って帆村を毛虫のように云いだしたんだから、一座もどうこれを鎮《しず》めていい
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