といいましたネ。お竜を見た人間は、そう沢山いないのです。僕は宝塚で二度も見かけて、よく知っています。正にお竜にちがいありません」
「な、なんという大胆な女だろう」
「さあ皆さん、これによっても、蠅男はいよいよこの附近に潜伏していることが明白になったじゃありませんか。一つ元気をだして、蠅男を探しだして下さい」
帆村の言葉に、一座は急にどよめいた。
地下に潜る
こうなったら、死闘である。
恐るべき機械化された殺人魔を、一日いや一時間でも早く捕えることが出来れば、どれだけ市民は安堵《あんど》の胸をなでおろすか測りしれないのである。
帆村は、とうとう意を決して、警察側と全然|放《はな》れて、巷《ちまた》に単身、蠅男を探し求めて、機をつかめば一騎うちの死闘を交える覚悟をした。
それを決行するに当って、糸子の小さな胸を痛めないようにと、帆村は彼女の家を訪ねて事態を説明した。
糸子は帆村がこの上危険な仕事をすることに忠言を試みたけれど、彼の決意が、市民を一刻も早く安心させたいという燃えるような義侠心《ぎきょうしん》から発していることを知ると、それでも中止するようにとは云えなかった。
「帆村はん。これだけは誓うとくれやす。必要以上に、危険なことをしやはらへんことと、それからもう一つは、――」
「それからもう一つは?」
「それからもう一つはなア、一日に一度だけは、うちへ電話をかけとくんなはらんか。そうしたら、うち安心れて睡られます。よろしまんな」
「はッはッ、まるで坊やとのお約束みたいですが、たしかに承知しました。ではこれで、僕はかえります」
「あら、もう帰ってだすの。まあ、気の早い人だんな。いま貴郎《あなた》のお好きな宇治羊羹を松が切っとりまんがな。拝みまっさかい、どうぞもう一遍だけ、お蒲団の上へ坐って頂戴な」
糸子は、真剣な顔をして、いっかな帆村を帰そうとはしなかった。
帆村は予定どおり、夜の闇にまぎれて、浮浪者姿で天王寺公園に入りこんだ。
「こらッ、お前なんや?」
乾からびた葡萄棚の下に跼《うずくま》ったとき、ロハ台に寝ていた男がムクムクと起きあがって、帆村に剣突《けんつく》をくわせた。
「ああ、おらあ新入りなんだ。こっちの親分さんに紹介してくれりゃ、失礼ながらこいつをお礼にお前さんにあげるぜ」
「な、なんやと。お前、東京者やな。おれに何を呉れる
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