話をしたのが、こんなところへヒョックリ出て来ようとは思いがけなかったので、横を向いて苦笑《にがわら》いをした。兎《と》も角《かく》、調餌室の連中はあの時間、犯行を遂《と》げるなどとは非常に困難であることが判った。
 してみると、園長の万年筆や釦《ボタン》は、一体何を語っているのだろうか。理窟からゆけば、どうしても調餌室の連中が疑われてくるのであるが、北外《きたと》の話では疑うのが無理である。すると、残るのは何者かが調餌室の人たちに嫌疑を向けるために、万年筆を落し、釦を調餌室の前に捨てたとしかかんがえられない。何者がやったことかは知らぬが、そうだとすると、犯人は実に容易ならぬ周到な計画を持っていたものと思われる。
 そこで帆村は大事にしていた切札を、ポイと投げ出す気になった。
「北外《きたと》さん。隣りの爬虫館《はちゅうかん》の蟒《うわばみ》どものことですがね。皆で九頭ほどいますが、あれに人間の身体を九個のバラバラの肉塊《にくかい》にし、蟒どもに振舞ってやったら、嘸《さぞ》よろこんで呑むことでしょうな」帆村は北外の答えを汗ばむような緊張の裡《うち》に待った。
「うわッはッはッ」北外は無遠慮《ぶえんりょ》に笑い出した。「いや、ごめんなさい、帆村さん、あの蟒という動物はですな、生きているものなら躍りかかって、たとい自分の口が裂けようと呑《の》みこみますが、死んでいるものはどんなうまそうなものでも見向《みむ》きもしないという美食家《びしょくか》です。ここでは主に生きた鶏や山羊《やぎ》を食わせています。貴方は多分園長の死体のことを云っていられるのでしょうが、バラバラでは蟒の先生、相手にしませんでしょうよ」
 帆村は折角《せっかく》登りつめた断崖から、突っ離されたように思った。穴があれば入りたいとは、この場のことだろう。彼は北外畜養員に挨拶をして、遁《に》げるように室を出た。
 彼は人に姿を見られるのも厭《いと》うように、スタスタと足早に立ち去った。園内の反対の側に遺《のこ》されたる藤堂家《とうどうけ》の墓所《ぼしょ》があった。そこは鬱蒼《うっそう》たる森林に囲まれ、厚い苔《こけ》のむした真《しん》に静かな場所だった。彼はそこまで行くと、園内の賑《にぎや》かさを背後《あと》にして、塗りつぶしたような常緑樹《じょうりょくじゅ》の繁みに対して腰を下した。
「ああ、何もかも無くなった!」
 帆村は一本の煙草をつまむと、火を点けて歎息《たんそく》した。
「一体、何が残っているだろう」
 最初から一つ一つ思いかえしてゆく裡《うち》に、特に気のついたことが二つあった。一つは園長がいつも呑み仲間としてブラリと訪ねて行った古き戦友|半崎甲平《はんざきこうへい》に会うことだった。そうすれば、まだ知られていない園長の半面生活が曝露《ばくろ》するかも知れない。もう一つはどうしても事件に関係があるらしい爬虫館を、徹底的に捜索しなおすことだった。ことに開けると爬虫たちの生命を脅《おびやか》すことになるという話のあった鴨田研究員苦心の三本のタンクみたいなものも、此際《このさい》どうしても開けてみなければ済《す》まされなかった。あのタンクは、故意か偶然か、人間一匹を隠すには充分な大きさをしているのだった。
 そんな結論を生んでゆく裡に、帆村の全身にはだんだんに反抗的な元気が湧き上ってきたのだった。
「須永《すなが》を呼ぼう」
 彼は公衆電話に入って帆村探偵局の須永助手を呼び出すと直《す》ぐに動物園へ来るように命じた。


     5


 爬虫館の鴨田研究室の裡《うち》へツカツカと入って行った帆村探偵は、そこに鴨田氏が背後《うしろ》向きになり、ビーカーに入った茶褐色《ちゃかっしょく》の液体をパチャパチャ掻《か》き廻しているのを発見した。外には誰も居なかった。
 帆村の跫音《あしおと》に気がついたらしく、鴨田は静かにビーカーを振る手をちょっと停《とど》めたが、別に背後を振返りもせず、横に身体を動かすと、硬質陶器《こうしつとうき》でこしらえた立派な流し場へ、サッと液体を滾《こぼ》した。すると真白な烟《けむり》が濛々《もうもう》と立昇《たちのぼ》った。どうやら強酸性《きょうさんせい》の劇薬らしい。なにをやっているのだろう。
「鴨田さん、またお邪魔《じゃま》に伺《うかが》いました」帆村はぶっきら棒に云った。
「やあ!」と鴨田は愛想よく首だけ帆村の方へ向いて「まだお話があるのですか」とニヤニヤ笑い乍《なが》ら、水道の水でビーカーの底を洗った。
「先刻《さっき》の御返事をしに参りました」
「先刻の返事とは?」
「そうです」と帆村は三つの大きな細長いタンクを指《さ》して云った。「このタンクを直ぐに開いていただきたいのです」
「そりゃ君」と鴨田はキッとした顔になって応えた。「さっきも言ったとおり、これを直ぐ開けたんでは、動物が皆|斃死《へいし》してしまいます」
「しかし人間の生命には代えることは出来ません」
「なに人間の生命? はッはッ、君は此のタンクの中に、三日前に行方不明になった園長が隠されているのだと思っているのですね」
「そうです。園長はそのタンクの中に入っているのです!」
 帆村はグンと癪にさわった揚句《あげく》(それは彼の悪い癖だった)大変なことを口走ってしまった。それは前から多少疑いを掛けていたものの、まだ断定すべきほどの充分な条件が集っていなかったのだ。怒鳴《どな》ったあとで大いに後悔《こうかい》はしたものの、不思議に怒鳴ったあとの清々《すがすが》しさはなかった。
「君は僕を侮辱《ぶじょく》するのですね」
「そんなことは今考えていません。それよりも一分間でも早く、このタンクを開いていただきたいのです」
「よろしい、開けましょう」断乎として鴨田が思切《おもいき》ったことを云った。「しかし若《も》しもこのタンクの中に園長が入っていなかったら君は僕に何を償《つぐな》います」
「御意《ぎょい》のままに何なりと、トシ子さんとあなたの結婚式に一世《いっせ》一代の余興《よきょう》でもやりますよ」
 この帆村の言葉はどうやら鴨田理学士の金的《きんてき》を射《う》ちぬいたようであった。
「よろしい」彼は満更《まんざら》でない面持《おももち》で頷《うなず》いた。「ではこの装置を開けましょうが、爬虫どもを別の建物へ移さねばならぬので、その準備に今から五六時間はかかります。それは承知して下さい」
「ではなるべく急いで下さい。今は、ほう、もう四時ですね。すると十時ごろまでかかりますね。警官と私の助手を呼びますから、悪《あ》しからず」
「どうぞご随意《ずいい》に」鴨田は云った。「僕も今夜は帰りません」
 帆村はその部屋から警官を呼んだ。副園長の西郷にも了解《りょうかい》を求めたが、彼も今夜はタンクが開くまで、爬虫館に停っていようと云った。
 しかし帆村は、彼等と別なコースをとる決心をしていた。丁度そこへ助手の須永がやってきたので、万事について、細々《こまごま》と注意を与え、爬虫館の見張りを命じてから、彼一人、動物園の石門を出ていった。既に秋の陽《ひ》は丘の彼方に落ち、真黒な大杉林の間からは暮れのこった湖面《こめん》が、切れ切れに仄白《ほのじろ》く光っていた。そして帆村探偵の姿も、やがて忍《しの》び闇《やみ》の中に紛《まぎ》れこんでしまった。それからは時計のセコンドの響きばかりがあった。午後五時、六時、七時、それから八時がうっても九時がうっても、帆村の姿は爬虫館へ帰ってこなかった。九時半を過ぎると多勢の畜養員や園丁が檻を担《かつ》いで入って来て無造作《むぞうさ》にニシキヘビを一頭入れては別の暖室《だんしつ》の方へ搬んで行った。仕事は間もなく終った。助手の須永は、先ほどから勝誇ったように元気になってくる鴨田理学士の身体を、片隅《かたすみ》から睨《にら》みつけていた。やがて爬虫館の柱時計がボーン、ボーンと、あたりの壁を揺すぶるように午後十時を打ちはじめた。人々は、首をあげてじっと時計の文字盤を眺め、さて入口をふりかえったが、どうやら求める跫音《あしおと》は蟻の走る音ほども聞えなかった。
「帆村さんはもう帰って来ないかも知れませんよ」
 鴨田理学士が両手を揉《も》み揉《も》み云った。
「いつまで待って居たって仕様がありませんから、この儘《まま》閉めて帰ろうではありませんか」
 警官と西郷副園長とが、腰を伸して立ち上った。須永も立ち上った。しかし彼は鴨田の解散説に賛成して立ったわけではなかった。
「もう少し待って下さい。先生は必ず帰って来られます」
 須永は叫んだ。
「いや、帰りません」
 鴨田は尚《なお》も云った。
「それでは――」と須永は決心をして云った。「先生の代りに僕が拝見しますから、このタンクを開けて下さい」
「それはこっちでお断《ことわ》りします」
 憎々《にくにく》しい鴨田の声に、須永が尚も懸命に争っている裡《うち》に、いつの間に開いたか、入口の扉《ドア》が開かれ、そこには此の場の光景《ありさま》を微笑《ほほえ》ましげに眺めている帆村の姿があった。
「皆さん大変お待たせをしました」と挨拶《あいさつ》をした後で、「おや蟒どもは皆、退場いたしましたね、では今度は私が退場するか、それとも鴨田さんが退場なさるか、どっちかの番になりました。ではどうか、あれを開いていただきましょう、鴨田さん」
「……」鴨田は黙々《もくもく》として第一のタンクの傍へ寄り、スパナーで六角の締め金を一つ一つガタンガタンと外《はず》していった。一同は鴨田の背後から首をさし伸べて、さて何が現れることかと、唾を呑みこんだ。
「ガチャリ!」
 と音がして、タンクの上半部がパクンと口を開いた。が、内部は同心管《どうしんかん》のようになっていて、鱶《ふか》の鰭《ひれ》のような大きな襞《ひだ》のついた其の同心管の内側が、白っぽく見えるだけで、中には何も入っていなかった。
「空虚《から》っぽだッ」
 誰かが叫んだ。
 鴨田研究員は第二のタンクの前へ、黙々として歩を移した。同じような操作がくりかえされたが、これも開かれた内部は、第一のタンクと同じく、空虚《から》だった。
 失望したような、そして又安心したような溜息が、どこからともなく起った。
 遂に第三のタンクの番だった。流石《さすが》の鴨田も、心なしか緊張に震える手をもって、スパナーを引いていった。
「ガチャリ!」
 とうとう最後の唐櫃《からびつ》が開かれたのだった。
「呀《あ》ッ!」
「これも空虚っぽだッ!」
 帆村は須永に目くばせをして彼一人、前に出た。彼の手には自動車の喇叭《らっぱ》の握りほどあるスポイトとビーカーとが握られていた。
 彼は念入りに、白い襞《ひだ》のまわりを獵《あさ》って、何やら黄色い液体をスポイトで吸いとり、ビーカーへ移していた。
 だがそれは大した量でなく、ほんの底を潤《うる》おす程度にとどまった。
 帆村は尚《なお》もスポイトの先で、弾力のある襞《ひだ》を一枚一枚かきわけ、検《しら》べていたが、
「呀ッ」
 と叫んで顔を寄せた。
「これだッ。とうとう見付かった」
 そう云って素早《すばや》く指先でつまみあげたのは長さ一寸あまりの、柳箸《やなぎばし》ほどの太さの、鈍く光る金属――どうやら小銃《しょうじゅう》の弾丸《たま》のような形のものだった。
 一同は怪訝《けげん》な面持で、帆村が指先にあるものを眺《なが》めた。帆村はその弾丸のようなものを鴨田の鼻先へ持っていった。
「貴方《あなた》はこれをご存知ですか」
 鴨田は腑《ふ》に落ちかねる顔付で、無言に首を振った。
「貴方はご存知なかったのですね」
 帆村はどうしたのか、ひどく歎息《たんそく》して云った。
「これはですね――」
 一同は帆村の唇を見つめた。
「――これは露兵《ろへい》の射った小銃弾《しょうじゅうだん》です。そして、これは三十日から行方不明になられた河内園長の体内に二十八年この方、潜《もぐ》っていたものです。云わば河内園長の認識標《にんしきひょう》なんです。しかも園長の身体を焼くとか
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