性格を知るために、室内を隅から隅まで見廻して、何か怪《あや》しい物はないかと探し求めた。
「鴨田さんの鞄ですか、これは」と帆村は棚の上に載っている黒皮の書類鞄を指した。
「そうです、私のです」
「随分大きいですね」
「私達は動物のスケッチを入れるので、こんな特製のものじゃないと間に合わないのです」
「こっちの方に、同じような形をした大きなタンクみたいなものが三つも横になっていますが、これは何ですか」
「それは私の学位論文に使った装置なんです。いまは使っていませんので、空《から》も同様です」
「前は何が入っていたのですか」
「いろいろな目的に使いますが、ヘビが風邪《かぜ》をひいたときには、此《こ》の中に入れて蒸気で蒸《む》してやったりします」
「それにしては、何だか液体でも入っていそうなタンクですね」
「ときには湯を入れたりすることもあります」
「だが蟒の呼吸《いき》ぬけもないし、それに厳重《げんじゅう》な錠《じょう》がかかっていますね」
「これは兎《と》に角《かく》、論文通過まで、内部を見せたくない装置なんです」
「論文の標題《ひょうだい》は?」
「ニシキヘビの内分泌腺《ないぶんぴせん》について――というのです」
 そこへドヤドヤと、警官と園丁との一団が鴨田研究員を取巻いた。
「もうこの建物は天井から床下《ゆかした》まで調べましたが、異状がありませんでした。唯《ただ》残っているのは、あの三つのタンクですが、お言葉を信用してそのままにして置きます」
 帆村はそれを聞くと飛出してきた。
「待って下さい。あのタンクは、是非調べて下さい」
「でも開けられないのですよ」帆村の見識《みし》り越《ご》しの警官が云った。
「そんなことは無い。ね、鴨田さん、開けた方が貴方《あなた》のためにもいいですよ。あのタンクだけで、清浄潔白《せいじょうけっぱく》になるのじゃありませんか」
「いやそう簡単に明けられません」鴨田は強く反対した。「あれを明けると、爬虫館の室温や湿度が急降《きゅうこう》して、爬虫《はちゅう》に大危害《だいきがい》を加えることになるので、ちょっとでも駄目です」
「私は大したことはあるまいと思うのですが、演《や》ってみては?」帆村は尚《なお》も主張した。
「いやそうは行きません。私は園長から相当の責任を持って爬虫類を預っているのですから、拒絶《きょぜつ》する権利があります。尤《もっと》も他《た》を求めて、どうにも解決の鍵が見つからぬときは開けもしましょうが、それにはちょっと準備が入ります。この爬虫たちを、元居た暖室《だんしつ》の方へ移すのですが、それにはあの室を充分なところまで温め、湿度を整《ととの》えてやらねばならんのです」
「弱ったな」帆村は苦い顔をした。「一体何時間あったら、別室の準備ができるのです」
「まア五時間か六時間でしょうね」
「そりゃ大変だ。じゃ私も暫く考えてみましょう」と帆村は断乎《だんこ》として云った。「その間に別の部屋を検べて来ましょう。西郷さん、調餌室というのを案内して下さい」


     4


 帆村は爬虫館の外へ出ると、チェリーに火を点《つ》けて、うまそうに吸った。
 彼の観察したところでは、若《も》し鴨田《かもだ》に嫌疑《けんぎ》をかけるならば、鴨田は何かの原因で、河内園長を爬虫館に引摺《ひきず》りこみ、これを殺害して裸体《らたい》に剥《は》ぐと、手術台の上でバラバラに截断《せつだん》し、彼が飼育している蟒《うわばみ》に一部分喰わしてしまったのであろう。真逆《まさか》バラバラにしたとは気が付かなかったので、捜索隊も蟒の腹を見るには見たが、人間を頭から呑んでいる程の膨《ふく》れた腹をした蟒が居なかったので、それで安心していたものと思う。あの特殊装置というものの中には、きっと血染《ちぞめ》になった園長の服とか靴とかが隠匿されているのではなかろうか。万年筆は、園長を館の入口で絞《し》めあげるときに落ちたもので、それを後に何かの事情があって遺失品《いしつひん》として届けたものであろう。
 しかし今横に並んで歩いている西郷副園長が、この万年筆について不審な行動を演《や》っているのにも気がつかないわけではない。第一に三十日の遺失品として届けられたものなら、直ぐにも疑って調べなければならないのが、今まで黙っていたし、一と目みれば園長のものだ位は判りそうなものを何故《なにゆえ》口を閉めていたのか、嫌な眼付で帆村を覗いたところと云い、ひょっとしたら西郷がすべてを画策《かくさく》し、嫌疑が鴨田にかかるように、わざと爬虫館の前に落して置いたのではあるまいか。園長殺害の方法も死体も判らぬが、原因は勤務上の怨恨《えんこん》又は、失恋でもあろう。そう思って西郷の横顔を見ると、どこやら悪人らしいところも無いでは無かった。
 しかし嫌疑薄弱《けんぎはくじゃく》な西郷まで疑うのは、探偵上の恐しい無限地獄へ落ちこんだようにも思われた。園長令嬢トシ子の言葉としても、副園長を疑うことは申訳なかった。でも疑えば、トシ子は鴨田のことを爪の尖《さき》ほども言わず、却《かえ》って西郷のことを弁明した。これは西郷の愛に酬《むく》うことができなかったので自《みずか》ら弁解をつとめて償《つぐな》いをし、一方鴨田との愛の問題はもう解決を見ているので一言も云わなかったと考えてはどうか。いよいよ縺《もつ》れ糸のように乱れてくる帆村の足許《あしもと》に、事件解決の鍵かと思われる物が転がっていた。それは一個の釦《ボタン》だった。
「おお、これは園長の洋服についていた釦に違いない。どうしてこんなところに在るのだろう」
 帆村は兼《か》ねて園長の遺《のこ》していった上衣の釦《ボタン》の特徴を手帳に書き留めて置いたことが役立って大変好運だと思った。それにしても釦を拾った場所というのが、調餌室の直ぐ前の、桐《きり》の木材との間に挟《はさま》った路面だったので、これでは調餌室の人達について一応嫌疑をかけてみないわけにはゆかない。いや、ひょっとすると、爬虫館前に落ちていたという園長の万年筆もこの釦と殆んど同時に落ちたものと認定すると、これは園長の身体を搬《はこ》んで行った経路を自《おのずか》ら語っていることになりはしないであろうか。恐らく万年筆が最初に落ちて、次にチョッキの釦と思うものが落ちたと考えていいであろう。園長の身体は、爬虫館の前から調餌室へ搬ばれたと考えていいであろう。
 だが、どうして人目につかず搬んで行けたかということが次の疑問だった。それが出来たとすると、特殊の状況が必要だったことになる。白昼下《はくちゅうか》では、その時、幸《さいわ》いにも観覧人も少く畜養員や園丁も現場《げんじょう》に居合わせなかったというとき、又夜間なれば、これは極《きわ》めて容易に行われる。しかし万年筆は園長失踪の日に発見されたのだから、搬《はこ》ばれたのは夜間になる以前だといわなければならない。しかも十一時二十分頃までは園長を見掛けたという人があるのだから、正午《ひる》になれば園長は食事のため事務所へ帰って行った筈で、それが無かったとすると、どうしても失踪は十一時二十分から正午の間と断定するのが常識のように思う。コースは調餌室から爬虫館ではなくて、反対に爬虫館から調餌室へと考えられる。そこで帆村は、爬虫館の鴨田研究員が十一時三十五分前後に、調餌室の前へトラックが到着して動物の餌を搬びこんでいるらしい騒ぎを聴いたということを思い出した。すると犯行は、この前か後か。――帆村は調餌室の内部にも多分の疑問|符号《ふごう》が秘められていることも考えないわけにはゆかなかった。
 西郷理学士と一緒に調餌室に入ってみると、帆村は思わず「呀《あ》ッ」と叫びたいくらいだった。塀の外で調餌室を想像しているのと、こうやって大きな俎上《そじょう》に、血のタラタラ滲《にじ》みでそうな馬肉《ばにく》の塊《かたまり》を見るのとでは、まるっきり調餌室というものの実感が違った。壁には、象を料理するのじゃないかと思うほどの大鉞《おおまさかり》や大鋸《おおのこぎり》、さては小さい青竜刀《せいりゅうとう》ほどもある肉切庖丁《にくきりほうちょう》などが、燦爛《さんらん》たる光輝《ひかり》を放って掛っていた。倉庫には竪《たて》半分に立ち割った馬の裸身《はだかみ》や、ダラリと長い耳を下げた兎《うさぎ》の籠《かご》などが目についた。
 この物凄い光景を見た瞬間、帆村の頭脳《あたま》の中に電光のように閃《ひらめ》いた幻影《げんえい》があった。それは、園長の死体が調餌室に搬ばれたと見る間に、料理人が壁から大きな肉切庖丁を下《おろ》して、サッと死体を截断《せつだん》する。そして駭《おどろ》くべき熟練をもって、胸の肉、臀部《でんぶ》の肉、脚の肉、腕の肉と截り分け、運搬車に載せると、ライオンだの虎だの檻の前へ直行して、園長の肉を投げ込んでやる。……いや、恐《おそろ》しいことである。
「これが、調餌室の主任、北外星吉《きたとせいきち》氏です」西郷副園長が、ゴム毬《まり》のように肥《こ》えた男を紹介した。
「やあ、帆村さんですか」北外畜養員はニコヤカに笑った。
「貴方《あなた》のお名前は兼《か》ねてよく知っていましたよ。今度の事件はまるで、貴方に挑戦しているようなもので、実にうってつけの大事件ですなア」
 帆村はこの機嫌のいい、しかし何だかひやかされているような気がしないでもない北外の挨拶に対して、頓《とみ》に言うべき言葉もなかった。しかし此《こ》のまんまるく太った子供の相撲取《すもうとり》のような男の顔を見ていると、彼が悪事を企図《たくら》むような種類の人間だとは思えなくなった。帆村は勢い率直な質問をこの男に向ってする勇気を得たのだった。
「北外さん、私は園長の身体が、この調餌室《ちょうじしつ》か、それとも隣りの爬虫館かで、料理されちまったように思うのですがね」
「はァはァ」北外は小さい口を勢一杯《せいいっぱい》に開けて、わざとらしく駭《おどろ》いた。「いやそれは大発見ですな」
「貴方は園長が失踪された朝の、十一時二十分頃から正午《ひる》まで何処に居られましたか」
「僕が有力なる容疑者というお見立ですな」北外はニヤリと笑った。「さてお尋《たず》ねの時間に於《おい》ては、この室内に僕一人が残っていた――とこう申上げると、貴方は喜ばれるのでしょうが、実はその時間フルに、一族郎党《いちぞくろうとう》ここに控《ひか》えていたんです。それというのが、十一時四十分頃に、けだもの[#「けだもの」に傍点]の弁当の材料が届くことになっていまして、室からズラかることが出来ないのです」
「それでは其の時間前後は、何をしておいででした?」
「先《ま》ず時間前は、当日も六人の畜養員が、庖丁《ほうちょう》を研《と》いだり、籠を明けたり、これでなかなか忙しく立ち働きました。そのうちにいつもの時間になると、トラックに満載された材料がドッと搬《はこ》ばれて来ます。するともう戦場のような騒ぎで、この寒さに襯衣《シャツ》一枚でもって全身水を浴《あび》たように、汗をかきます。それが済むと早速《さっそく》調理です。煮《に》るものは大してありませんが、それぞれのけだもの[#「けだもの」に傍点]に頃合いの大きさに切ったり、分けて容物《いれもの》に入れたりするのが大変です。肉類の方は、生きている兎《うさぎ》だの鶏《にわとり》だのには、冥途《めいど》ゆきの赤札《あかふだ》をぶら下げるだけですが、その外《ほか》のは必ず頭のある魚を揃えたり馬肉の目方をはかって適当の大きさに截断し、中には必ず骨つきでないといけないものもあって、それを拵《こしら》えるやら、なかなか忙しくて、おひるの弁当が、キチンと正午《ひる》にいただけることは殆んど稀《まれ》で、いつも一時近くですね。その忙しさの間に、園長を掴《つかま》えてきて、これも料理しスペシァルの御馳走として象《ぞう》や河馬《かば》などにやらなきゃならんそうで、いやはや大変な騒《さわ》ぎですよ」
 帆村は、うっかり園丁に象や河馬に人間を食わせる
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