判った前後のことを話していただけませんか」
「よろしゅうございます。閉園《へいえん》近い時刻になっても園長は帰って来られません。見ると帽子と上衣は其儘《そのまま》で、お自宅から届いたお弁当もそっくり其儘です。黙って帰るわけにも行きませんので、畜養員と園丁《えんてい》とを総動員して園内の隅から隅まで探させました。私は園丁の比留間《ひるま》というのを連《つれ》て、猛獣の檻《おり》を精《くわ》しく調べて廻りましたが異状なしです」
「素人《しろうと》考えですがね、例えば河馬《かば》の居る水槽《すいそう》の底深く死体が隠れていないかお検《しら》べになりましたか」
「なる程ご尤《もっと》もです」と西郷副園長は頷《うなず》いた。「そういう個所は、多少の準備をしなければ検《しら》べられませんので直ぐには参りませんでしたが、今日の午後には一つ一つ演《や》っているのです」
「そりゃ好都合です」と帆村探偵が叫んだ。「すぐに、私を参加させていただきたいのですが」
 西郷理学士は承諾して、卓上電話機を方々へかけていたが、やっとのことで、捜索隊《そうさくたい》がこれから爬虫館の方へ移ろうというところだと解ったので、その方へ帆村を案内して呉《く》れることになった。
 白い砂利の上に歩を運んでゆくと、どこからともなく風に落葉が送られ、カサコソと音をたてて転がっていった。もう十一月になったのだ。杜蔭《もりかげ》に一本《ひともと》鮮《あざや》かな紅葉《もみじ》が、水のように静かな空気の中に、なにかしら唆《そその》かすような熱情を溶《と》かしこんでいるようだった。帆村は、ちょっと辛い質問を決心した。
「園長のお嬢さんは、まだお独身《ひとり》なんですかねエ」
「え?」西郷氏は我が耳を疑うもののように聞きかえした。
「お嬢さんはまだ独身です。探偵さんは、いろんなことが気に懸《かか》るらしいですね」
「私も若い人間として気になりますのでね」
「こりゃ驚いた」西郷理学士は大きな身体をくねらせて可笑《おか》しがった。「僕の前でそんなことを云ったって構《かま》いませんが、鴨田君の前で云おうものなら、蟒《うわばみ》を嗾《け》しかけられますぜ」
「鴨田さんていうと、爬虫館の方ですね」
「そうです」と返事をしたが、西郷氏はすこし冗談を云いすぎたことを後悔した。「ありゃ学校時代の同級生なので、有名な真面目な男だから、からかっちゃ駄目ですよ」
 帆村は何も応えなかったが、先に園長令嬢のトシ子と語ったときのことと、いま西郷副園長が冗談に紛《まぎ》らせて云ったこととを併《あわ》せて頭脳《あたま》の中で整理していた。この上は、鴨田という爬虫館の研究員に会うことが楽しみとなった。
「鴨田さんは、主任では無いのですか」
「主任は病気で永いこと休んでいるのです。鴨田君はもともと研究の方ばかりだったのが、気の毒にもそんなことで主任の仕事も見ていますよ」
「研究といいますと――」
「爬虫類《はちゅうるい》の大家です。医学士と理学士との肩書をもっていますが、理学の方は近々学位論文を出すことになっているので、間もなく博士でしょう」
「変った人ですね」
「いや豪《えら》い人ですよ。スマトラに三年も居て蟒《うわばみ》と交際《つきあ》いをしていたんです。資産もあるので、あの爬虫館を建てたとき半分は自分の金を出したんです。今も表に出ているニシキヘビは二頭ですが、あの裏手には大きな奴が六七頭も飼ってあるのです」
「ほほう」と帆村は目を円《まる》くした。「その非公開の蛇も検《しら》べたんですか」
「そりゃ勿論ですよ。研究用のものだからお客さんにこそ見せませんが、検べることは一般と同じに検べますよ。別に園長さんを呑んでいるような贅沢《ぜいたく》なのは居ませんでした」
 帆村は副園長の保証の言葉を、そう簡単に受入れることはできなかった。園長を最後に見掛けたというところが、此の爬虫館と小禽暖室の辺であってみれば、入念に検べてみなければならないと思った。
「さあ、ここが爬虫館《はちゅうかん》です」
 副園長の声に、はッと目をあげると、そこにはいかにも暖室《だんしつ》らしい感じのする肉色の丈夫な建物が、魅惑的《みわくてき》な秘密を包んで二人の前に突立っていた。


     3


 扉《ドア》を押して入ると、ムッと噎《む》せかえるような生臭《なまぐさ》い暖気《だんき》が、真正面から帆村の鼻を押《おさ》えた。
 小劇場の舞台ほどもある広い檻《おり》の中には、頑丈《がんじょう》な金網《かなあみ》を距《へだ》てて、とぐろを捲《ま》いた二頭のニシキヘビが離れ離れの隅《すみ》を陣取ってぬくぬくと睡《ねむ》っていた。その褐色《かっしょく》に黒い斑紋《はんもん》のある胴中は、太いところで深い山中《さんちゅう》の松の木ほどもあり、こまかい鱗《うろこ》は、粘液《ねんえき》で気味のわるい光沢《こうたく》を放っていた。頭は存外《ぞんがい》に小柄で、眼を探すのに骨が折れたが、やっとのことで彫《ほ》りこんだような黄色い半開きの眼玉を見つけたときには、余りいい気持はしなかった。帆村たちの入って来たのが判ったものか、フフッ、フフッと、風に吹きつけられたように身体の一部を波うたせていたのだった。
 こんなのが、裏手にはまだ六七頭もいるんだと思うと、生来《せいらい》蛇嫌いな帆村はもうすっかり憂鬱《ゆううつ》になってしまった。
 そのとき奥の潜《くぐ》り戸《ど》をあけて、副園長の西郷が、やや小柄の、蟒《うわばみ》に一呑みにやられてしまいそうな、青白い若紳士を引張ってきた。
「ご紹介します。こちらがこの爬虫館《はちゅうかん》の鴨田研究員です」
 二人は言葉もなく頭を下げた。
「園長の最後に此の室へ来られたときのことをお伺《うかが》いしたいのですが」
「今朝も大分警視庁の人に苛《いじ》められましたから、もう平気で喋《しゃべ》れますよ」と鴨田研究員は前提《ぜんてい》して「私は時計を見ない癖《くせ》なのでしてネ、正午《ひる》のサイレンからして、あれは多分十一時二十分頃だったろうと思うのですが、カーキ色の実験衣を着た園長が入って来られまして、そうです、二三分間だと思いますが、ここに出ている一頭のニシキヘビの元気が無いことから、食餌《しょくじ》の注意などを云って下すって其儘《そのまま》出てゆかれたんです」
「それは此の室だけへ入って来られたのですか、それとも」
「今の話は奥でしました。私は別にお送りもしませんでしたが、園長は確かにこの潜《くぐ》り戸《ど》をぬけて此の室へ入られたようです」
「表へ出られた物音でも聞かれましたか」
「いえ、別に気に止めていなかったものですから」
「なにか様子に変ったことでもありましたでしょうか」
「ありません」
「園長が表へ出られたと思う時刻から正午《ひる》までに、戸外に何か異様な叫び声でもしませんでしたか」
「そうですね。裏の調餌室へトラックが到着して、何だかガタガタと、動物の餌を運びこんでいたようですがね、その位です」
「ほほう」帆村は眼を見張《みは》った。「それは何時頃です」
「さあ、園長が出てゆかれて十五分かそこらですかね」
「すると十一時三十五分前後ですね。動物の食うものというと、随分|嵩張《かさば》ったものでしょうね」
「それア相当なもんですなア」と副園長が横合《よこあい》から云った。
「馬鈴薯《じゃがいも》、甘藷《かんしょ》、胡羅蔔《にんじん》、雪花菜《ゆきやさい》、※[#「麥にょう+皮」、第3水準1−94−77]《ふすま》、藁《わら》、生草《なまくさ》、それから食パンだとか、牛乳、兎《うさぎ》、鶏《とり》、馬肉《ばにく》、魚類など、トラックに満載《まんさい》されてきますよ」
「なるほど」帆村は又《また》鴨田の方へ向き直った。「莫迦《ばか》げたことをお尋《たず》ねいたしますが、この蟒《うわばみ》は人間を呑みますか」
「呑まないとは保証できませんが、あまり人間は襲《おそ》わない習性《しゅうせい》です。先刻《さっき》もそんなことを訊かれましたが、園長を呑んでいないことは確かですよ。人間を呑むには時間もかかれば呑んでも腹が膨《ふく》れているので直ぐ判ります」
 帆村は黙って頷《うなず》いた。
 しかし人間の身体を九つ位にバラバラに切断《せつだん》して、この蟒に一塊《いっかい》ずつ喰べさせれば、比較的容易に片づくわけだし、腹も著しく膨《ふくら》むこともなかろうと考えたので、質問してみようと思ったが、これは重大な結果になりそうだから、もっと先で訊《き》くことにした。そしてそれとなく蟒全部の腹の膨れ工合《ぐあい》を検《しら》べてやろうと思った。
 それで裏手の鴨田理学士の研究室を見せて欲しいと云うと、直ぐ許されて、一同は潜り戸を入っていった。
 其処《そこ》はいとも奇妙な広い部屋だった。竪長《たてなが》の三十坪ほどもあろうという、ぶちぬきの一室だったが、縦《たて》に二等分し、一方には白ペンキを盛んに使った卓子《テーブル》や書棚や、書類函や、それから手術台のようなもの、硝子戸《ガラスど》の入った薬品棚、標本棚、外科器械棚などが如何にも贅沢《ぜいたく》に並び、其他《そのた》、人間が入れそうなタンクのような訳のわからぬ装置が二つも三つも置かれてあった。窓は上の方に小さく、天井《てんじょう》には水銀灯をつかった照明灯が、気味の悪い青白光《せいはっこう》を投げかけていた。床《ゆか》の一ヶ所を開けて地下に潜《ひそ》んでいる園丁の一団があったが、それは話のあった捜索隊に違いなかった。室の一隅《いちぐう》には警視庁の制服《せいふく》警官が二人ほどキラキラする眼を光らせていた。
 他の縦半分《たてはんぶん》には頑丈な檻があって、その中に見るも恐ろしい大ニシキヘビが七頭、死んだようになって勝手な場所を占領していた。帆村は檻に掴《つか》まると、端《はし》の蟒から一頭一頭、腹の大きさを見ていった。しかしどうやらどの蛇も思いあたるような大きな腹をしたのは居なかった。しかしバラバラの死体を呑んだとして、犯行が三十日の正午《ひる》近くと仮定し今日は二日の午後であるから二日過ぎとすると、この間に蟒の腹は目立たぬ程に小さくなったのではあるまいか。
「鴨田さん」帆村は背後を振返《ふりかえ》った。「ニシキヘビには山羊《やぎ》を喰べさせるそうですが、何日位で消化しますか」
「そうですね」鴨田は揉《も》み手《で》をしながら実直《じっちょく》そうな顔を出した。「六貫位はある山羊を呑んだとしまして、先ず三日でしょうか」
 それなれば十二三貫ある園長を八つか九つの切れにして、九頭の蟒に与えるなら、いままでまる二日は過ぎたから、もう程よく溶《と》けたころに違いない。しかし一体誰が殺したか、誰が死体をバラバラにし、誰が蟒に与えたか。それは一向にハッキリ判っていなかったが、この生白《なまじろ》い鴨田研究員の関係していることは否《いな》めなかった。
「ああ、西郷君」そう云ったのは鴨田理学士だった。「一昨日この爬虫館の前で拾得《しゅうとく》したので僕が事務所へ届けて置いた万年筆ね、あれは先刻警官の方が調べられて、園長さんのものだと判ったそうですよ」
「ああ、そう」西郷副園長は簡単に応《こた》えたが、其の後でチラリと帆村の方に素早《すばや》い視線を送った。
 帆村は知らぬ風をして、この会話の底に流れる秘密について考えた。館の前で園長の持ち物を拾ったということは、場合によっては決して鴨田氏の利益ではなかった。万年筆はよく落すものではあるが、そんなに具合よく館の入口に落すものではない。また物静かな園長が落すというのも可怪《おか》しい。鴨田が後に怪《あやし》まれることを勘定《かんじょう》に入れて落して行ったか、さもなくて鴨田が自《みずか》ら落ちていたと偽《いつわ》り届けたものか、どっちかである。始めのようだと鴨田を陥《おとしい》れようとしているのは誰かという問題となり、後のようだと鴨田は自ら嫌疑《けんぎ》をうけようとするもので、そこには容易ならぬ犯罪性を発見することになって、帆村は鴨田の
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