!」
 帆村は一本の煙草をつまむと、火を点けて歎息《たんそく》した。
「一体、何が残っているだろう」
 最初から一つ一つ思いかえしてゆく裡《うち》に、特に気のついたことが二つあった。一つは園長がいつも呑み仲間としてブラリと訪ねて行った古き戦友|半崎甲平《はんざきこうへい》に会うことだった。そうすれば、まだ知られていない園長の半面生活が曝露《ばくろ》するかも知れない。もう一つはどうしても事件に関係があるらしい爬虫館を、徹底的に捜索しなおすことだった。ことに開けると爬虫たちの生命を脅《おびやか》すことになるという話のあった鴨田研究員苦心の三本のタンクみたいなものも、此際《このさい》どうしても開けてみなければ済《す》まされなかった。あのタンクは、故意か偶然か、人間一匹を隠すには充分な大きさをしているのだった。
 そんな結論を生んでゆく裡に、帆村の全身にはだんだんに反抗的な元気が湧き上ってきたのだった。
「須永《すなが》を呼ぼう」
 彼は公衆電話に入って帆村探偵局の須永助手を呼び出すと直《す》ぐに動物園へ来るように命じた。


     5


 爬虫館の鴨田研究室の裡《うち》へツカツカと入って行った帆村探偵は、そこに鴨田氏が背後《うしろ》向きになり、ビーカーに入った茶褐色《ちゃかっしょく》の液体をパチャパチャ掻《か》き廻しているのを発見した。外には誰も居なかった。
 帆村の跫音《あしおと》に気がついたらしく、鴨田は静かにビーカーを振る手をちょっと停《とど》めたが、別に背後を振返りもせず、横に身体を動かすと、硬質陶器《こうしつとうき》でこしらえた立派な流し場へ、サッと液体を滾《こぼ》した。すると真白な烟《けむり》が濛々《もうもう》と立昇《たちのぼ》った。どうやら強酸性《きょうさんせい》の劇薬らしい。なにをやっているのだろう。
「鴨田さん、またお邪魔《じゃま》に伺《うかが》いました」帆村はぶっきら棒に云った。
「やあ!」と鴨田は愛想よく首だけ帆村の方へ向いて「まだお話があるのですか」とニヤニヤ笑い乍《なが》ら、水道の水でビーカーの底を洗った。
「先刻《さっき》の御返事をしに参りました」
「先刻の返事とは?」
「そうです」と帆村は三つの大きな細長いタンクを指《さ》して云った。「このタンクを直ぐに開いていただきたいのです」
「そりゃ君」と鴨田はキッとした顔になって応えた。「さっきも言ったとおり、これを直ぐ開けたんでは、動物が皆|斃死《へいし》してしまいます」
「しかし人間の生命には代えることは出来ません」
「なに人間の生命? はッはッ、君は此のタンクの中に、三日前に行方不明になった園長が隠されているのだと思っているのですね」
「そうです。園長はそのタンクの中に入っているのです!」
 帆村はグンと癪にさわった揚句《あげく》(それは彼の悪い癖だった)大変なことを口走ってしまった。それは前から多少疑いを掛けていたものの、まだ断定すべきほどの充分な条件が集っていなかったのだ。怒鳴《どな》ったあとで大いに後悔《こうかい》はしたものの、不思議に怒鳴ったあとの清々《すがすが》しさはなかった。
「君は僕を侮辱《ぶじょく》するのですね」
「そんなことは今考えていません。それよりも一分間でも早く、このタンクを開いていただきたいのです」
「よろしい、開けましょう」断乎として鴨田が思切《おもいき》ったことを云った。「しかし若《も》しもこのタンクの中に園長が入っていなかったら君は僕に何を償《つぐな》います」
「御意《ぎょい》のままに何なりと、トシ子さんとあなたの結婚式に一世《いっせ》一代の余興《よきょう》でもやりますよ」
 この帆村の言葉はどうやら鴨田理学士の金的《きんてき》を射《う》ちぬいたようであった。
「よろしい」彼は満更《まんざら》でない面持《おももち》で頷《うなず》いた。「ではこの装置を開けましょうが、爬虫どもを別の建物へ移さねばならぬので、その準備に今から五六時間はかかります。それは承知して下さい」
「ではなるべく急いで下さい。今は、ほう、もう四時ですね。すると十時ごろまでかかりますね。警官と私の助手を呼びますから、悪《あ》しからず」
「どうぞご随意《ずいい》に」鴨田は云った。「僕も今夜は帰りません」
 帆村はその部屋から警官を呼んだ。副園長の西郷にも了解《りょうかい》を求めたが、彼も今夜はタンクが開くまで、爬虫館に停っていようと云った。
 しかし帆村は、彼等と別なコースをとる決心をしていた。丁度そこへ助手の須永がやってきたので、万事について、細々《こまごま》と注意を与え、爬虫館の見張りを命じてから、彼一人、動物園の石門を出ていった。既に秋の陽《ひ》は丘の彼方に落ち、真黒な大杉林の間からは暮れのこった湖面《こめん》が、切れ切れに仄白《ほのじろ》く光ってい
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