なくなった。帆村は勢い率直な質問をこの男に向ってする勇気を得たのだった。
「北外さん、私は園長の身体が、この調餌室《ちょうじしつ》か、それとも隣りの爬虫館かで、料理されちまったように思うのですがね」
「はァはァ」北外は小さい口を勢一杯《せいいっぱい》に開けて、わざとらしく駭《おどろ》いた。「いやそれは大発見ですな」
「貴方は園長が失踪された朝の、十一時二十分頃から正午《ひる》まで何処に居られましたか」
「僕が有力なる容疑者というお見立ですな」北外はニヤリと笑った。「さてお尋《たず》ねの時間に於《おい》ては、この室内に僕一人が残っていた――とこう申上げると、貴方は喜ばれるのでしょうが、実はその時間フルに、一族郎党《いちぞくろうとう》ここに控《ひか》えていたんです。それというのが、十一時四十分頃に、けだもの[#「けだもの」に傍点]の弁当の材料が届くことになっていまして、室からズラかることが出来ないのです」
「それでは其の時間前後は、何をしておいででした?」
「先《ま》ず時間前は、当日も六人の畜養員が、庖丁《ほうちょう》を研《と》いだり、籠を明けたり、これでなかなか忙しく立ち働きました。そのうちにいつもの時間になると、トラックに満載された材料がドッと搬《はこ》ばれて来ます。するともう戦場のような騒ぎで、この寒さに襯衣《シャツ》一枚でもって全身水を浴《あび》たように、汗をかきます。それが済むと早速《さっそく》調理です。煮《に》るものは大してありませんが、それぞれのけだもの[#「けだもの」に傍点]に頃合いの大きさに切ったり、分けて容物《いれもの》に入れたりするのが大変です。肉類の方は、生きている兎《うさぎ》だの鶏《にわとり》だのには、冥途《めいど》ゆきの赤札《あかふだ》をぶら下げるだけですが、その外《ほか》のは必ず頭のある魚を揃えたり馬肉の目方をはかって適当の大きさに截断し、中には必ず骨つきでないといけないものもあって、それを拵《こしら》えるやら、なかなか忙しくて、おひるの弁当が、キチンと正午《ひる》にいただけることは殆んど稀《まれ》で、いつも一時近くですね。その忙しさの間に、園長を掴《つかま》えてきて、これも料理しスペシァルの御馳走として象《ぞう》や河馬《かば》などにやらなきゃならんそうで、いやはや大変な騒《さわ》ぎですよ」
帆村は、うっかり園丁に象や河馬に人間を食わせる話をしたのが、こんなところへヒョックリ出て来ようとは思いがけなかったので、横を向いて苦笑《にがわら》いをした。兎《と》も角《かく》、調餌室の連中はあの時間、犯行を遂《と》げるなどとは非常に困難であることが判った。
してみると、園長の万年筆や釦《ボタン》は、一体何を語っているのだろうか。理窟からゆけば、どうしても調餌室の連中が疑われてくるのであるが、北外《きたと》の話では疑うのが無理である。すると、残るのは何者かが調餌室の人たちに嫌疑を向けるために、万年筆を落し、釦を調餌室の前に捨てたとしかかんがえられない。何者がやったことかは知らぬが、そうだとすると、犯人は実に容易ならぬ周到な計画を持っていたものと思われる。
そこで帆村は大事にしていた切札を、ポイと投げ出す気になった。
「北外《きたと》さん。隣りの爬虫館《はちゅうかん》の蟒《うわばみ》どものことですがね。皆で九頭ほどいますが、あれに人間の身体を九個のバラバラの肉塊《にくかい》にし、蟒どもに振舞ってやったら、嘸《さぞ》よろこんで呑むことでしょうな」帆村は北外の答えを汗ばむような緊張の裡《うち》に待った。
「うわッはッはッ」北外は無遠慮《ぶえんりょ》に笑い出した。「いや、ごめんなさい、帆村さん、あの蟒という動物はですな、生きているものなら躍りかかって、たとい自分の口が裂けようと呑《の》みこみますが、死んでいるものはどんなうまそうなものでも見向《みむ》きもしないという美食家《びしょくか》です。ここでは主に生きた鶏や山羊《やぎ》を食わせています。貴方は多分園長の死体のことを云っていられるのでしょうが、バラバラでは蟒の先生、相手にしませんでしょうよ」
帆村は折角《せっかく》登りつめた断崖から、突っ離されたように思った。穴があれば入りたいとは、この場のことだろう。彼は北外畜養員に挨拶をして、遁《に》げるように室を出た。
彼は人に姿を見られるのも厭《いと》うように、スタスタと足早に立ち去った。園内の反対の側に遺《のこ》されたる藤堂家《とうどうけ》の墓所《ぼしょ》があった。そこは鬱蒼《うっそう》たる森林に囲まれ、厚い苔《こけ》のむした真《しん》に静かな場所だった。彼はそこまで行くと、園内の賑《にぎや》かさを背後《あと》にして、塗りつぶしたような常緑樹《じょうりょくじゅ》の繁みに対して腰を下した。
「ああ、何もかも無くなった
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