た。そして帆村探偵の姿も、やがて忍《しの》び闇《やみ》の中に紛《まぎ》れこんでしまった。それからは時計のセコンドの響きばかりがあった。午後五時、六時、七時、それから八時がうっても九時がうっても、帆村の姿は爬虫館へ帰ってこなかった。九時半を過ぎると多勢の畜養員や園丁が檻を担《かつ》いで入って来て無造作《むぞうさ》にニシキヘビを一頭入れては別の暖室《だんしつ》の方へ搬んで行った。仕事は間もなく終った。助手の須永は、先ほどから勝誇ったように元気になってくる鴨田理学士の身体を、片隅《かたすみ》から睨《にら》みつけていた。やがて爬虫館の柱時計がボーン、ボーンと、あたりの壁を揺すぶるように午後十時を打ちはじめた。人々は、首をあげてじっと時計の文字盤を眺め、さて入口をふりかえったが、どうやら求める跫音《あしおと》は蟻の走る音ほども聞えなかった。
「帆村さんはもう帰って来ないかも知れませんよ」
 鴨田理学士が両手を揉《も》み揉《も》み云った。
「いつまで待って居たって仕様がありませんから、この儘《まま》閉めて帰ろうではありませんか」
 警官と西郷副園長とが、腰を伸して立ち上った。須永も立ち上った。しかし彼は鴨田の解散説に賛成して立ったわけではなかった。
「もう少し待って下さい。先生は必ず帰って来られます」
 須永は叫んだ。
「いや、帰りません」
 鴨田は尚《なお》も云った。
「それでは――」と須永は決心をして云った。「先生の代りに僕が拝見しますから、このタンクを開けて下さい」
「それはこっちでお断《ことわ》りします」
 憎々《にくにく》しい鴨田の声に、須永が尚も懸命に争っている裡《うち》に、いつの間に開いたか、入口の扉《ドア》が開かれ、そこには此の場の光景《ありさま》を微笑《ほほえ》ましげに眺めている帆村の姿があった。
「皆さん大変お待たせをしました」と挨拶《あいさつ》をした後で、「おや蟒どもは皆、退場いたしましたね、では今度は私が退場するか、それとも鴨田さんが退場なさるか、どっちかの番になりました。ではどうか、あれを開いていただきましょう、鴨田さん」
「……」鴨田は黙々《もくもく》として第一のタンクの傍へ寄り、スパナーで六角の締め金を一つ一つガタンガタンと外《はず》していった。一同は鴨田の背後から首をさし伸べて、さて何が現れることかと、唾を呑みこんだ。
「ガチャリ!」
 と音がして、タンクの上半部がパクンと口を開いた。が、内部は同心管《どうしんかん》のようになっていて、鱶《ふか》の鰭《ひれ》のような大きな襞《ひだ》のついた其の同心管の内側が、白っぽく見えるだけで、中には何も入っていなかった。
「空虚《から》っぽだッ」
 誰かが叫んだ。
 鴨田研究員は第二のタンクの前へ、黙々として歩を移した。同じような操作がくりかえされたが、これも開かれた内部は、第一のタンクと同じく、空虚《から》だった。
 失望したような、そして又安心したような溜息が、どこからともなく起った。
 遂に第三のタンクの番だった。流石《さすが》の鴨田も、心なしか緊張に震える手をもって、スパナーを引いていった。
「ガチャリ!」
 とうとう最後の唐櫃《からびつ》が開かれたのだった。
「呀《あ》ッ!」
「これも空虚っぽだッ!」
 帆村は須永に目くばせをして彼一人、前に出た。彼の手には自動車の喇叭《らっぱ》の握りほどあるスポイトとビーカーとが握られていた。
 彼は念入りに、白い襞《ひだ》のまわりを獵《あさ》って、何やら黄色い液体をスポイトで吸いとり、ビーカーへ移していた。
 だがそれは大した量でなく、ほんの底を潤《うる》おす程度にとどまった。
 帆村は尚《なお》もスポイトの先で、弾力のある襞《ひだ》を一枚一枚かきわけ、検《しら》べていたが、
「呀ッ」
 と叫んで顔を寄せた。
「これだッ。とうとう見付かった」
 そう云って素早《すばや》く指先でつまみあげたのは長さ一寸あまりの、柳箸《やなぎばし》ほどの太さの、鈍く光る金属――どうやら小銃《しょうじゅう》の弾丸《たま》のような形のものだった。
 一同は怪訝《けげん》な面持で、帆村が指先にあるものを眺《なが》めた。帆村はその弾丸のようなものを鴨田の鼻先へ持っていった。
「貴方《あなた》はこれをご存知ですか」
 鴨田は腑《ふ》に落ちかねる顔付で、無言に首を振った。
「貴方はご存知なかったのですね」
 帆村はどうしたのか、ひどく歎息《たんそく》して云った。
「これはですね――」
 一同は帆村の唇を見つめた。
「――これは露兵《ろへい》の射った小銃弾《しょうじゅうだん》です。そして、これは三十日から行方不明になられた河内園長の体内に二十八年この方、潜《もぐ》っていたものです。云わば河内園長の認識標《にんしきひょう》なんです。しかも園長の身体を焼くとか
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