なかった。なにをされても、俘囚《ふしゅう》の身には反抗すべき手段がなかった。
鼻と唇とを殺《そ》がれた松永は、それから後どうなったか、気のついたときには、例の天井の穴からは見えなくなった。見えるのは、相変らず気味の悪い屍体や、バラバラの手足や、壜漬《びんづ》けになった臓器の中に埋《うず》もれて、なにかしらせっせ[#「せっせ」に傍点]とメスを動かしている夫の仕事振りだった。その仕事振りを、毎日朝から夜まで、あたしは天井裏から、眺めて暮した。
「なんて、熱心な研究家だろう!」
不図《ふと》、そんなことを思ってみて、後で慌てて取り消した。そろそろ夫の術中に入りかけたと気が付いたからである。「妻の道、妻の運命」――と夫は云ったが、なにをあたしに知らしめようというのだろう。
しかし遂《つい》に、そのことがハッキリあたしに判る日がやって来た。
それから十日も経った或る日、もう暁の微光《びこう》が、窓からさしこんで来ようという夜明け頃だった。警官を交《まじ》えた一隊の検察係員が、風の如く、真下《ました》の部屋に忍びこんで来た。あたしは、刑事たちが、盛んに家探《やさが》しをしているのを認めた。
前へ
次へ
全35ページ中28ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
海野 十三 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング