あるものだった。夫がいつも愛用した独逸製《ドイツせい》の半練り煙草の吸《す》い殻《がら》に違いなかった。
 そんな吸い殻が、昨日も一昨日も掃除をしたこの部屋に、残っているというのが可笑《おか》しかった。誰か、昨夜《ゆうべ》のうちに、ここへ入って来て、煙草を吸い、その吸い殻を床の上に落としていったと考えるより外に途がなかった。そして松永が、そんな種類の煙草を吸わぬことは、きわめて明《あきら》かなことだった。
「すると、若《も》しや死んだ筈の夫が……」
 あたしは急に目の前が暗くなったのを感じた。ああ、そんな恐ろしいことがあるだろうか。井戸の中へ突き墜《お》とし、大きな石塊《せっかい》を頭の上へ落としてやったのに……。
 そのとき、入口の扉《ドア》についている真鍮製《しんちゅうせい》のハンドルが、独りでクルクルと廻りだした。ガチャリと鍵の音がした。
(誰だろう?)もうあたしは、立っているに堪《た》えられなかった。――扉は、静かに開く。だんだん開いて、やがて其の向うから、人の姿が現れた。それは紛《まぎ》れもなく夫の姿だった。たしかに此の手で殺した筈の、あの夫の姿だった。幽霊だろうか、それとも
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