懼れていますって声よ」
「とにかく、博士を怒らせることはよくないと思うよ。事を荒立《あらだ》てちゃ損だ。平和工作を十分にして置いて、その下で吾々《われわれ》は楽しい時間を送りたいんだ。今夜あたり早く帰って、博士の首玉《くびったま》に君のその白い腕を捲《ま》きつけるといいんだがナ」
 彼の云っている言葉の中には、確かにあたしの夫への恐怖が窺《うかが》われる。青年松永は子供だ。そして偶像崇拝家《ぐうぞうすうはいか》だ。あたしの夫が、博士であり、そして十何年もこの方、研究室に閉じ籠って研究ばかりしているところに一方ならぬ圧力を感じているのだ。博士がなんだい。あたしから見れば、夫なんて紙人形に等しいお馬鹿さんだ。お馬鹿さんでなければ、あんなに昼となく夜となく、研究室で屍体《したい》ばかりをいじって暮せるものではない。その癖《くせ》、この三四年こっち、夫は私の肉体に指一本触った事がないのだ。
 あたしは、前から持っていた心配を、此処《ここ》にまた苦《にが》く思い出さねばならなかった。
(この調子で行くと、この青年は屹度《きっと》、私から離れてゆこうとするに違いない!)
 きっと離れてゆくだろう。
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