は、ぐにゃりとしているあたしの身体を、ベンチの背中に凭《もた》せかけた。ああ、冷い木の床《ゆか》。いい気持だ。あたしは頭をガクンとうしろに垂《た》れた。なにやら足りないものが感ぜられる。あたしは口をパクパクと開《あ》けてみせた。
「なんだネ」と彼が云った。変な角度からその声が聞えた。
「逃げちゃいやーよ。……タバコ!」
「あ、タバコかい」
 親切な彼は、火の点《つ》いた新しいやつを、あたしの唇の間に挟《はさ》んでくれた。吸っては、吸う。美味《おい》しい。ほんとに、美味しい。
「おい、大丈夫かい」松永はいつの間にか、あたしの傍《そば》にピッタリと身体をつけていた。
「大丈夫よオ。これッくらい……」
「もう十一時に間もないよ。今夜は早く帰った方がいいんだがなア、奥さん」
「よしてよ!」あたしは呶鳴《どな》りつけてやった。「莫迦《ばか》にしているわ、奥さんなんて」
「いくら冷血《れいけつ》の博士《はかせ》だって、こう毎晩続けて奥さんが遅くっちゃ、きっと感づくよ」
「もう感づいているわよオ、感づいちゃ悪い?」
「勿論、よかないよ。しかし僕は懼《おそ》れるとは云やしない」
「へん、どうだか。――
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