いったことがあった。あれは五年ほど前のことだったが、研究に使ったとしても、まだ相当残っている筈《はず》。それを見つけて、あとはしたいことを今夜からでもするのだ。
あたしは、それから夕方までを、故《な》き夫の隠匿《いんとく》している財産探しに費《ついや》した。茶の間から始まって、寝室から、書斎の本箱、机の抽斗《ひきだし》それから洋服箪笥《ようふくだんす》の中まで、すっかり調べてみた。その結果は、云うまでもなく大失敗だった。あれほど有ると思った金が、五十円と纏《まとま》っていなかった。この上は、夫の解剖室に入って屍体の腹腔《ふくこう》までを調べてみなければならなかったが、あの部屋だけは全く手を出す勇気がない。しかしそれほどまでにせずとも、これ以上探しても無駄であることが判った。それは数冊の貯金帖を発見したことだったが、その帖面の現在高は、云いあわせたように、いずれも一円以下の小額だった。結局わが夫の懐工合は、非常に悪いことが判った。意外ではあるが、事実だから仕方がない。
失望のあまり、今度はボーッとした。この上は、化物屋敷と広い土地とを手離すより外に途がない。松永が来たらば、適当のときに、それを相談しようと思った。彼はもう間もなく訪《おとず》れて来るに違いない。あたしはまた鏡に向って、髪かたちを整《ととの》えた。
だが、調子の悪いときには、悪いことが無制限に続くものである。というのは、松永はいつまで待っても訪ねてこなかった。もう三十分、もう一時間と待っているうちに、とうとう何時の間にやら、十二時の時計が鳴りひびいた。そして日附が一つ新しくなった。
(やっぱり、そうだ!――松永はあたしのところから、永遠に遁《に》げてしまったのだ!)
彼のために、思い切ってやった仕事が、あの子供っぽい青年の胸に、恐怖を植えつけたのに違いない。人殺しの押かけ女房の許から逃げだしたのだ。もう会えないかも知れない、あの可愛い男に……。
悶《もだ》えに満ちた夜は、やがて明け放たれた。憎らしいほどの上天気だった。だが、内に閉じ籠っているあたしの気持は、腹立たしくなるばかりだった。幾回となく発作《ほっさ》が起って、あたしは獣《けもの》のように叫びながら、灰色に汚れた壁に、われとわが身体をうちつけた。あまりの孤独、消しきれない罪悪《ざいあく》、迫りくる恐怖戦慄《きょうふせんりつ》、――その苦悶《くもん》のために気が変になりそうだ、恐ろしかった。あの重い鉄蓋が持ち上がるものだったら、あたしは殺した夫の跡を追って、井戸の中に飛びこんだかも知れない。
喚《わめ》き、悶え、暴《あば》れているうちに、とうとう身体の方が疲れ切って、あたしはベッドの上に身を投げだした。睡ったことは睡ったが、恐ろしい夢を、幾度となく次から次へと見た。――不図《ふと》、その白昼夢《はくちゅうむ》から、パッタリ目醒《めざ》めた。オヤオヤ睡ったようだと、気がついたとき、庭の方の硝子窓《ガラスまど》が、コツコツと叩かれるので、其の方へ顔を向けた。
「ああ、――」あたしは、思わず大声をあげると、その場に飛んで起きた。なぜなら、庭に向いた窓の向うから、しきりに此方《こっち》を覗きこんでいる者があった。その円い顔――紛《まぎ》れもなく、逃げたとばかり思っていた松永の笑顔だった。
「マーさん、お這入《はい》り――」
「どうして昨夜《ゆうべ》は来なかったのさア」
嬉しくもあったけれど、相当口惜しくもあったので、あたしはそのことを先《ま》ず訊《たず》ねた。
「昨夜は心配させたネ。でもどうしても来られなかったのだ、エライことが起ってネ」
「エライことッて、若い女のひとと飯事《ままごと》をすることなの」
「そッそんな呑気《のんき》なことじゃないよ。僕は昨夜、警視庁に留められていたんだ。そして、いまから三十分ほど前に、釈放《しゃくほう》になったばかりだよ」
「ああ、警視庁なの!」
あたしはハッと思った。そんなに早く露見《ろけん》したのかなア。
「そうだ、災難に類する事件なんだがネ」と彼は急に興奮の色を浮べて云った。「実はうちの銀行の金庫室から、真夜中に沢山の現金を奪って逃げた奴があるんだ。そいつが判らない。その部屋にいる青山金之進《あおやまきんのしん》という番人が殺されちまった。――そして不思議なことに、その部屋に入るべきあらゆる入口が、完全に閉じられているのだ。穴といえば、その室《へや》にある送風機の入口と、壁の欄間《らんま》にある空気窓だけだ。空気窓の方は、嵌《は》めこんだ鉄の棒がなかなかとれないから大丈夫。もう一つの送風機の穴は、蓋があって、これが外《はず》せないことはないが、なにしろ二十センチそこそこの円形《まるがた》で、外は同じ位の大きさの鉄管で続いている。二十センチほどの直径のことだから、どん
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