うことだろう、この光景は?」
おちつき船長として有名な佐伯も、この思いがけない僚艇の惨状に、顔の色をうしなった。
謎の裂《さ》き傷《きず》
「これは、遭難して漂流中、仲間同志で喧嘩したのじゃありませんか。そこで、ジャック・ナイフでたがいに渡りあって、こんなことになった!」
船員の一人が、このひどい光景に説明をこころみた。もっともな考え方であった。
だが船長は、すぐそれに反対した。
「いや、ちがう。それはちがうだろう」
「でも、そうとしか考えられませんね」
「たしかにそれはちがう。第一、われわれの仲間がこんなひどい殺人合戦をやるとは考えられない。第二に、もしそんなことがあったとしても、人骨《じんこつ》ばかりにするというようなひどい殺し方をやる者が、われわれ仲間にあろうとは信じられない。しかも昨日の今日のことだからね」
船長は、さすがに眼のつけどころがちがっていた。
どんな喧嘩のたねがあったにしろ、わずか一夜のうちに、二十名以上もあった二号艇の乗組員が一人も見えなくなり、人骨と千切れた手足だけをのこすばかりとなったとは考えられない。
船長は、自分の胸のうちを冷たい刃物がさしつらぬいてゆくように感じたのだった。
船員たちは、急にだまりこんでしまった。見れば見るほど、眼をそむけたいような惨状である。あの親しかった仲間の誰かれは、一体どうなったのであろうか。なにごとかはわからないが、この二号艇の乗組員たちをみな殺しにした不吉な死の影は、いつまた一号艇のうえにおちてくるか分らないのだ。
古谷局長は、さっきからだまりこくって、二号艇の無慚《むざん》な光景にむかっていた。彼は、あの二号艇にのりこんでいた部下の丸尾技士の安否《あんぴ》について、いろいろと考えていたのだ。あの好青年も、ついにおなじ脱《のが》れられない運命のもとに死んでいったのであろう。ひょっとすると、あそこに散らばっている千切れた手首が、電鍵を握ってはかなうもののない、あの丸尾技士の手首であるかもしれないのだ。そんな風な、なさけない想《おも》いに胸をいためていた古谷局長の眼にさっきから灼《や》きついて離れない二号艇の底にころがっている一つの手首があった。その手首は、なにか口でもあるかのように、局長によびかけているようであった。
「はて――」
局長は、櫂《かい》を借りて、二号艇の血の海のなかから、気になるその手首をそっとすくいあげた。そしてそのまま手もとへひきよせたのである。
「うむ、やっぱりそうだった」
局長の眼が光った。彼は佐伯船長の方をむいて叫んだ。
「船長、これを見てください。この手首は、なにか手紙らしいものをしっかと握っています」
「おおそうか。こっちへよこせ」
船長は、局長と二人がかりで、その手首がつかんでいる手紙のようなものをひき離した。それはたしかに手紙だった。手帳を破ってそのうえに走《はし》り書《がき》にしたためたものであった。手首がとんでも、なおしっかり握りしめていたその手紙というのには、一体何が書いてあったろうか。
「おお、これは丸尾が書いたものだ」
船長が、びっくりしたようにいった。
「うむ、これはたいへんなことが書いてある。――“「幽霊船』ニチカヨルナ。ワレラハ”ちえっ残念! そのあとが破れていて分らない。次の行になって“ハ、人間ヨリモ恐ロシイ”で、またあとが切れている」
幽霊船に近よるな、吾等《われら》は……? 人間よりもおそろしい……? ――これが、丸尾技士の遺書だった。
「さあ、どういう意味だかよくわからないが、――」と船長はいって、「とにかく、幽霊船に近よるな、人間よりも恐ろしい奴がいるぞ、注意しろ――と、こういうわけなんだろう。丸尾は、われわれを助けようがために、こんな身体になるまで頑張ったんだ。なんて勇しい男だろう」
船長は、おもわず感嘆のこえを放ったが、それは他の二十三名の乗組員だれもの想いでもあった。
それはそれでいいとして、その次に、この二十四人の生残りの船員たちをひどく脅《おびや》かすものが残っていた。“人間よりも恐ろしい!”という文句が、一体なにをさしていっているかということであった。
幽霊船だから、人間より恐ろしい奴というのは、幽霊のことなのであろうか。いやいや、幽霊などというものはこの世にないと聞いている。第一幽霊が無電などをうつであろうか。だがこの奇怪きわまる光景をながめていると、おしまいにはこれを超人的な幽霊の仕業とでもしなければ、説明がつかなかった。
幽霊船現わる
無電技士丸尾の遺書は、あまりに簡単であったため、二号艇に乗組んでいた二十何名かの船員の最期《さいご》を語りつくしていたとはいえなかった。
だが、まったく遺書がない場合よりも、はるかによかった。すなわち
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