「幽霊船」にしてやられたらしいこと、そこには「人間よりおそろしい」何者かがいるらしいことが、おぼろげながら分ったからである。
丸尾の遺書が知れわたると、一号艇の人たちは、破れかかった二号艇の中を、あらためて見なおした。それは惨状のうちにもなにかもっと彼等に役立つことが、ありはしないかとおもったからであった。
「おれは、だんぜんこの仇うちをしなければ腸《はら》が癒《い》えないんだ。幽霊船をみつけ次第、おれはそのうえに飛びのってやる。そして幽霊どもを、これでぶった斬《ぎ》ってやるんだ」
そういって、腰のジャック・ナイフを握りしめる船員もあった。
「おいおい、あれを見ろ。あのとおり、腕をひき裂《さ》きやがった。一度|斬《き》りつけただけでは足りないで、三筋《みすじ》も四筋も斬りつけてある」
「うん、まるでフォークをつきこんで、ひき裂いたようだなあ」
「ああ、猛獣の爪にひき裂かれたようではないか」
船長は、彼等の会話をきいて、ともに涙をのんだ。
二号艇には櫂《かい》がなかったが、一号艇にはぎっしり人がのっていたので、その一部が二号艇にのりうつることにした。
古谷局長と、貝谷という射撃のうまい船員と、そのほか六名の船員がのりこんだ。こうして二手にわかれて、また海を漂《ただよ》うことにした。
二号艇へのりこんだ古谷局長は、一同をさしずして、艇内の血を洗ったり、僚友の遺骸《いがい》の一部分を片づけたりした。そのうちに太陽はだんだん西の水平線に傾き、大空一杯に、豪快なる夕焼がひろがった。
「どうも、あの雲が気になるね」
などと、いっているうちに、入道雲がくずれだした。それは特別に灰色がかった大きい奴で、下の方が煙のようなものの中に隠れていた。
「おい、一雨《ひとあめ》やってくるぜ。いまぴかりと光ったよ」
「おう、入道雲の中で光ったね。うむ、風が出てきたぞ。これはまたやられるか」
なにしろ助けを呼ぶにも、どこにも一隻の船影さえ見えないのである。櫂を握るにもあてはなし、風浪のまにまに漂ってゆくより外に仕方がない身の上であった。そこへ一時的の雷雨にしろ、飢渇《きかつ》と疲労とに弱っているところを叩かれる身はつらいことであった。
そうこうしているうちに、海は白い波頭を見せて荒れてきた。ぽつり、ぽつりとおちてくる大粒の雨!
やがてあたりは真暗《まっくら》になり、盆《ぼん》をひっくりかえしたような豪雨となった。それに交《まじ》って、どろんどろんと地軸もさけんばかりに雷鳴はとどろく。
「おい離れるな」
「おう、舵《かじ》をとられるな」
二艘のボートは、たがいに必死のこえで叫びあう。どこが海だか空だか分らない。そのときだった。
「あっ、幽霊船が通る!」
「えっ、幽霊船!」
灰色の壁のような雨脚の中に、一隻の巨船が音もなく滑ってゆく。二三百メートルの近くであった。まさしく幽霊船だ!
逃がすな幽霊船
幽霊船にゆきあうのは、これで幾度目であろうか。たしか和島丸が撃沈せられて、一同が四艘のボートに乗じて海上へのがれたとき、この幽霊船がとおった。それからこれで二度目である。
はじめのときは、幽霊船に一発弾丸をおくってみただけで、そのままなにもしなかった。だが、きょうは幽霊船を別な目でみる!
なぜといって、行方不明《ゆくえふめい》になった丸尾無電技士の手首が発見され、その掌《て》の中に、ただごとではない手紙が握られていたのである。ことに“幽霊船に近よるな”とあるからには、この幽霊船は丸尾たち元の二号艇の乗組員に対して、なにかおそろしい危害を加えたものと思われる。一体彼等はどんなおそろしい目にあったのか。そして彼等は一体どこへいってしまったのか。――いや、いってしまったなどというよりも、彼等は一人のこらず殺されてしまったのだと書く方が正しいかもしれないのだ。いま雷雨のなかに突然現われた幽霊船!
「うぬ、幽霊船め、こんどは只じゃ通さないぞ。そうだ、そうだ。乗組員の敵だ。仇《かたき》うちをしなくちゃ、腹の虫がおさまらないや」
二艘のボートからは、乗組員たちが異口同音《いくどうおん》に、いましも傍にきた幽霊船に対して怒りの声をなげかけた。盆をくつがえすような雷雨も、山のような波浪も、それから幽霊船の恐ろしさも、彼等はすっかり忘れていた。それほど彼等にとって、幽霊船は憎《にく》い存在だったのである。
「船長、私をあの幽霊船へやってください。私は仲間が、どうして殺されたかをよく調べてくるつもりです。きっと秘密は、あの船の中にあるのです」
「わしもやってくだせえよ。船長さん。丸尾はいい青年で、わしに親切にしてくれた。ここでわしは丸尾のために仇をうたなくちゃ、生きながらえているのがつらい」
あっちからもこっちからも、船長のところへ幽霊船探
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