うな」
船長は、ため息をついた。
「さあ、助かるには助かって、どこかに漂流しているんだとはおもいますが……」
局長はそういったが、しかしそれはなにも自信があっていったことではなかった。
ボートは西へ西へと流れていた。どうやら潮流《ちょうりゅう》のうえにのっているらしい。
「おい古谷君、無電装置を持ってこなかったかね」
と船長がきいた。
「はあ、持って来たことには来たんですけれど、駄目なんです。ゆうべ、ボートの中が水浸《みずびた》しになって、絶縁《ぜつえん》がすっかり駄目になりました。はなはだ残念です」
「ふうむ、そいつは惜しいことをした」
船長は眼を洋上にむけた。
そのうちどこからか、汽船が通りあわすかもしれない。だがそれは運次第であって、そんなものを期待していてはいけないのであった。確《かく》たる今後の方針をどうするか、それをきめて置かなければならない。
そのころ、乗組員たちが、ぼつぼつ起きてきた。
「ああ夢だったか。俺はまだ風浪と闘っている気がしていたが……」
風浪は凪《な》いだ。だが風浪よりもわるいものが、彼等を待っているのだ。
それは飢《うえ》と渇《かつ》とであった。いや、飢より渇の方がはるかに恐ろしい。雲はだんだん薄くなって、熱い陽ざしがじりじりとボートのうえへさしてきた。この分では、飲料水の樽《たる》は、すぐからになるだろう。
「船長、漕《こ》がなくてもいいのですか」
「うむ、二三日はこのまま漂流をつづける覚悟でいこう。そのうちに、なにかいいことが向こうからやってくるだろう」
船長は、たいへん呑気《のんき》そうな口をきいた。だが彼は、本当はひとり、心のうちでこまかいところまで考えていたのだ。こうなれば、部下の体力を無駄につかわないことが大切だった。できるだけ永く、部下を元気に保《たも》っておかなければならない。
「おーい、水を呑ませてくれ。咽喉《のど》が焼けつきそうだ」
船員の一人が、くるしそうなこえをあげた。
「船長、水を呑ませていいですか」
「うん、水は一番大切なものだ。とにかく今朝は、小さいニュームのコップに一杯ずつ呑むことにしよう。あとは夕方まではいけない」
「えっ、あとは夕方までいけないのですか」
漂流《ひょうりゅう》するボート
たった一杯の水が、どのくらい遭難の船員たちを元気づけたかしれなかった。
次に海水にびしょびしょに濡《ぬ》れた握り飯が一箇ずつ分配された。おはちを持ちこんであったので、握り飯にもありつけたのである。
「おい、そこにあるのは缶詰じゃないか」
「おおそうだ。俺は手近にあった缶詰を卓子掛《テーブルかけ》にくるんで持ちこんだのだった。こんな大事なものを、すっかり忘れていた」
わずか十個に足りない缶詰だったけれど、遭難ボートにとっては、意外な御馳走であった。
「おい、三つばかり、すぐあけようじゃないか」
「待て、船長に伺《うかが》ってみよう」
船長は、さっきから黙って、その方を見ていたので、部下にいわれるまえに口をひらいた。
「あけるのは、一個だけでたくさんだ。このうえ幾日かかって救助されるかわからないのだから、できるだけ食料を貯《たくわ》えておくのが勝ちだ。一個だけあけて、皆に廻すがいい」
「たった一個ですか。それじゃ、皆の口に一口ずつも入らない」
船員は不平らしくいって、唾《つば》をのみこんだ。
船長は、どうしても一個しか、缶詰をあけることをゆるさなかった。太平洋の遭難船で、半年以上も漂流していた例さえあるんだ。うまくいっても、一ヶ月や二ヶ月は漂流する覚悟でやらないと、計算がちがってくる。なにしろボートのうえには、二十四名の者が、ぎっしりのりこんでいるのだった。
「水だ、飯よりも水が呑みたい。船長、もう一杯水を呑ませてください」
「うん、いずれ呑ませてやる。もうすこし辛抱せい」
船長は、子供にいいきかせるようにいった。だが、実のところ、太陽の直射熱はいよいよはげしくなって、誰の咽喉《のど》もからからにかわいてくるのだった。これでは、いくら水を呑んでも足りるはずがない。
「おーい、みんな。ボートのうえに日蔽《ひおお》いをつくるんだ。シャツでもズボンでもいいから、ぬいでもいいものを集めろ。そしてつぎあわせるんだ。そうすれば、咽喉の乾くのがとまる」
船長は命令をくだした。
部下は、それをきくと、元気になったように見えた。手持ぶさたのうえに、がっかりしていたところへ、ともかくも船長からやるべき仕事をあたえられたからであった。
よせ布細工《きれざいく》の日蔽いは、だんだんと綴《つづ》られ、そして、大きくなっていった。
やがてボートのうえに、この日蔽いは張られて、窮屈《きゅうくつ》ながら辛うじて全員の身体を灼《や》けつくような太陽から遮《さえ
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