海水にびしょびしょに濡《ぬ》れた握り飯が一箇ずつ分配された。おはちを持ちこんであったので、握り飯にもありつけたのである。
「おい、そこにあるのは缶詰じゃないか」
「おおそうだ。俺は手近にあった缶詰を卓子掛《テーブルかけ》にくるんで持ちこんだのだった。こんな大事なものを、すっかり忘れていた」
 わずか十個に足りない缶詰だったけれど、遭難ボートにとっては、意外な御馳走であった。
「おい、三つばかり、すぐあけようじゃないか」
「待て、船長に伺《うかが》ってみよう」
 船長は、さっきから黙って、その方を見ていたので、部下にいわれるまえに口をひらいた。
「あけるのは、一個だけでたくさんだ。このうえ幾日かかって救助されるかわからないのだから、できるだけ食料を貯《たくわ》えておくのが勝ちだ。一個だけあけて、皆に廻すがいい」
「たった一個ですか。それじゃ、皆の口に一口ずつも入らない」
 船員は不平らしくいって、唾《つば》をのみこんだ。
 船長は、どうしても一個しか、缶詰をあけることをゆるさなかった。太平洋の遭難船で、半年以上も漂流していた例さえあるんだ。うまくいっても、一ヶ月や二ヶ月は漂流する覚悟でやらないと、計算がちがってくる。なにしろボートのうえには、二十四名の者が、ぎっしりのりこんでいるのだった。
「水だ、飯よりも水が呑みたい。船長、もう一杯水を呑ませてください」
「うん、いずれ呑ませてやる。もうすこし辛抱せい」
 船長は、子供にいいきかせるようにいった。だが、実のところ、太陽の直射熱はいよいよはげしくなって、誰の咽喉《のど》もからからにかわいてくるのだった。これでは、いくら水を呑んでも足りるはずがない。
「おーい、みんな。ボートのうえに日蔽《ひおお》いをつくるんだ。シャツでもズボンでもいいから、ぬいでもいいものを集めろ。そしてつぎあわせるんだ。そうすれば、咽喉の乾くのがとまる」
 船長は命令をくだした。
 部下は、それをきくと、元気になったように見えた。手持ぶさたのうえに、がっかりしていたところへ、ともかくも船長からやるべき仕事をあたえられたからであった。
 よせ布細工《きれざいく》の日蔽いは、だんだんと綴《つづ》られ、そして、大きくなっていった。
 やがてボートのうえに、この日蔽いは張られて、窮屈《きゅうくつ》ながら辛うじて全員の身体を灼《や》けつくような太陽から遮《さえ
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