けが来た。
 そして朝の行事がいつものように始まった。食事をしてから、隆夫は学校へいった。
 二宮孝作《にのみやこうさく》や四方勇治《よつかたゆうじ》がそばへやって来たので、隆夫はさっそく昨夜奇妙な受信をしたことを話して聞かせたら、二人とも「へーッ、そうかね」とびっくりしていた。
「三木《みき》はどうしたんだ。今日は姿が見えないね」
 三木にこの話をしてやったら一番よろこぶだろうに。
「三木か。三木は今日学校を休むと、ぼくのところへ今朝《けさ》電話をかけて来たよ」
 と、二宮がいった。
「ああ、そうか。また風邪をひいたのか」
「そうじゃない。病人が出来たといっていた」
「うちに病人? 誰が病気になったんだろう。彼が休むというからには、相当重い病気なんだろうね」
「ぼくも聞いてみたんだ。するとね、あまり外へ喋《しゃべ》ってくれるなとことわって、ちょっと話しがね、彼の姉さんのお名津《なつ》ちゃんがね、とつぜん気が変になったので、困っているんだそうな」
「へえーッ、あのお名津ちゃんがね」
「午前三時過ぎからさわいでいるんだって」
「午前三時過ぎだって」
 隆夫はそれを聞くと、どきんとした。


   脳波収録《のうはしゅうろく》


 なぜ隆夫は、どきんとしたか。
 そのわけは、それを聞いたとき、彼が知っている三木の姉|名津子《なつこ》の声が、昨日の深夜、図らずも自分の実験小屋で耳にした女の声によく似ていることに気がついたからであった。実は昨夜もあの声を聞いたとき、どうも聞きおぼえのある声だとは思ったが、それが名津子の声に似ているとまで決定的に思出すことができなかったのだ。
(ふーん。これは重大問題だぞ)
 隆夫は、腹の中で、緊張した。
 しかし彼は、このことを三木たちに語るのをさし控えた。それは万一ちがっていたら、かえって人さわがせになるし、殊《こと》に病人を出して家中が混乱しているところへ、新しい困惑《こんわく》を加えるのはどうかと思ったのである。
 そのかわり、彼はこれを宿題として、自分ひとりで解いてみる決心をした。そして、いよいよ確実にそうと決ったら、頃合《ころあい》を見はからって三木に話してやろうと思った。
「どうして。君は急に黙ってしまったね」
 二宮が、隆夫にいった。隆夫は苦笑した。
「うん。ちょっと、或ることを考えていたのでね」
「何を考えこんでいたんだい」
「気が変になった人を治療する方法は、これまでに医学者によって、いろいろと考え出された。しかしだ、実際にこの病気は、あまりなおりにくい。それから、今までとは違った治療法を考えだす必要があると思うんだ。そうだろう」
「それはわかり切ったことだ」
 誰もみな隆夫のいうことに異議はなかった。
「そこでぼくは考えたんだが、そういうときに、病人の脳から出る電波をキャッチしてみるんだ。そしてあとで、その脳波を分析するんだ。それと、常人の脳波と比較してみれば、一層なにかはっきり分るのではないかと思う。この考えは、どうだ」
「それはおもしろい。きっと成功するよ」
「いや、ちょっと待った。脳波なんて、本当に存在するものかしらん。かりに存在するものとしてもだ、それをキャッチできるだろうか。どうしてキャッチする。脳波の波長はどの位なんだ」
 四方勇治《よつかたゆうじ》が、猛然と新しい疑問をもちだした。
「脳波が存在するかどうか、本当のことは、ぼくは知らない。しかし脳波の話は、この頃よくとび出してくるじゃないか。でね、脳波はいかなる理論の上に立脚《りっきゃく》して存在するか、そんなことは今ぼくたちには直接必要のない問題だ。それよりも、とにかく短い微弱《びじゃく》な電波を受信できる機械を三木君の姉さんのそばへ持っていって、録音してみたらどうかと思うんだ。もしその録音に成功したら、新しい治療法《ちりょうほう》発見の手がかりになるよ」
「それはぜひやってくれたまえ、隆夫君」
 この話をすると、三木は、はげしい昂奮《こうふん》の色を見せて、隆夫の腕をとらえた。
「おい、四方《よつかた》君。君はどう思う」
「脳波の存在が理論によって証明されることの方が、先決問題《せんけつもんだい》だと思うね。なんだかわけのわからないものを測定したって、しようがないじゃないか」
「いや、机の前で考えているより、早く実験をした方が勝ちだよ」と、二宮孝作《にのみやこうさく》が四方の説に反対した。
「元来《がんらい》日本人はむずかしい理屈をこねることに溺《おぼ》れすぎている。だから、太平洋戦争のときに、わが国の技術の欠陥をいかんなく曝露《ばくろ》してしまったのだ。ああいうよくないやり方は、この際さらりと捨てた方がいい。分らない分らないで一年も二年も机の前で悩むよりは、すぐ実験を一週間でもいいからやってみることだ。机の前では、思いもつかなかったようなことが、わずかの実験で“おやおや、こんなこともあったのか”と分っちまうんだ。頭より手の方を早く働かせたがいいよ」
「まあ、とにかく、その実験をやることにして、ぼくはその準備にかかるよ。隆夫君、手つだってくれるね」
 三木がそういったので、万事《ばんじ》は決った。もちろん隆夫は協力を同意したし、二宮も手を貸すといい、四方までが、ぼくにも手伝わせてくれと申出た。
 四人の協力によって、三日のちに、機械の用意ができた。
 その日の午後、一同は三木の家で、仕事を始めた。
 名津子《なつこ》の病床には、母親が病人よりもやつれを見せて、看護にあたっていた。まことに気の毒な光景だった。
 一同がその部屋にはいったとき、病人はすやすやと睡っていた。なるべく音のしないように、機械を持ちこんだ。
 機械は、電波をつかまえるため小さい特殊型空中線《とくしゅがたくうちゅうせん》と、強力なる二次電子増倍管《にじでんしぞうばいかん》を使用し、受信増幅装置《じゅしんぞうふくそうち》と、それから無雑音《むざつおん》の録音装置とを組合わせてあった。 そして脳から出る電波の収録《しゅうろく》をすると共に、病人の口から出ることばとを同時録音することも出来るようになっていた。
 いよいよその仕事が始まった。
 病人の目をさまさないうちに、睡眠中病人の脳から出ている電波をとらえることになった。隆夫は受信機の調整にあたり、三木は空中線を姉の頭の近くへ持っていって、いろいろと方向をかえてみる役目を引受けた。あとの二人は録音や整理の仕事にあたる。


   深夜《しんや》の影


「どうだい、何か出るかい」
 受信機が働きはじめたとき、三木はすぐそれをたずねた。
「いや出ない」
「だめなのかな」
「そうともいえない、とにかくいろいろやってみた上でないと、断定《だんてい》はできない」
 隆夫は、波長帯《はちょうたい》を切りかえたり、念入りな同調《どうちょう》をやったり、増幅段数《ぞうふくだんすう》をかえたりして、いろいろやってみた。
「この機械の受信波長《じゅしんはちょう》は、どれだけのバンドを持っているのかね」
 四方《よつかた》が、隆夫に聞く。
「波長帯は、一等長いところで十センチメートル、一等短いところでは一センチの千分の一あたりだ」
「そうとうな感度を持っているねえ」
「いや、その感度が一様《いちよう》にいってないので、困っていることもあるんだ」
 電波は長波《ちょうは》、中波《ちゅうは》、短波《たんぱ》と、だんだん波長が短くなってきて、もっと短くなると超短波《ちょうたんぱ》となり、その下は極超短波《ごくちょうたんぱ》となる。そのへんになると赤外線《せきがいせん》の性質を帯《お》びて来る。一センチの何千万分の一となると、もう電波であるよりも赤外線だ。そうなると、装置はますますむずかしさを加える。
「なんか出て来たよ。しかしさわがないでくれたまえ」
 隆夫が昂奮《こうふん》をおしつけかねて、奇妙な声を出す。
 一同の顔が、さっと紅潮《こうちょう》して、隆夫の顔に集まる。
 隆夫は手まねで三木に空中線の向きや距離をかえさせる。そしていそがしくスイッチを切ったり入れたりして、その目は計器の上を走りまわる。
「これらしい。これがそうだろう」
 隆夫はひとりごとをいっている。
「ああッ、飛ぶ、飛ぶ、赤い火がとぶ……」
 とつぜん、高い女の声。
 名津子《なつこ》が口を聞いたのだ。彼女は目がさめたものと見え、むっくりと床から起上ろうとして、母親におさえられた。
「名津ちゃん。おとなしくしなさい。母さんはここにいますよ」
 母親は涙と共に娘をなだめる。
 それからの三十分間は電波収録班大苦闘《でんぱしゅうろくはんだいくとう》の巻《まき》であった。なにしろ目がさめた名津子は、好きなように暴れた。弟の三木も何もあったものではなく、空中線はいくたびか折られそうになった。母親と三木は、そのたびに汗をかいたし、隆夫たちははらはらしどおしだった。そして予定よりも早く実験を切りあげてしまった。
 三木に別れをつげて、残る三人の短波ファンは、そこを引揚げた。
 三人は隆夫の実験小屋へ機械をもちこんで、しばらく話し合った。すると、二宮がしかつめらしい顔をして、こんなことをいいだした。
「人間のからだが生きているということはね。からだをこしらえている細胞の間は、放電現象が起ったり、またそれを充電したり、そういう電気的の営《いとな》みが行われていることなんだとさ。だから三木の姉さんみたいな人を治療するのには、感電をさせるのがいいんじゃないかな。つまり電撃作戦《でんげきさくせん》だ」
「それは電撃作戦じゃなくて、電撃|療法《りょうほう》だろう」
「ああ、そうか。とにかく高圧電気を神経系統《しんけいけいとう》へぴりっと刺《さ》すと、とたんに癒《なお》っちまうんじゃないかな」
「それは反対だよ」
 四方が首を振った。
「なぜだい、なにが反対だい」
「だって、そうじゃないか。神経細胞は電線と同じように、導電体《どうでんたい》だ。しかも弱い電流を通す電路なんだ。そこへ高圧電気をかけるとその神経細胞の中に大きな電流が流れて、神経が焼け切れてしまう。そうなれば、人間は即座《そくざ》に死ぬさ」
「いや、電流は流されないようにするんだ。そうすれば神経細胞は焼け切れやしないよ。ねえ、隆夫君、そうだろう」
「さあ、どっちかなあ。ぼくは、そのことをよく知らないから、答えられない」
 この問題は懸案《けんあん》になった。
 そこへ隆夫の母が、甘味《あまみ》のついたパンをお盆《ぼん》にのせてたくさん持って来てくれたので、三人はそれをにこにこしてぱくついた。やがてお腹がいっぱいになると、急に疲れが出て来て、睡くなった。それだから、その日はそれまでということにして、解散した。
 さて、その夜のことである。
 隆夫はひとりで実験小屋にはいった。
 彼は、今日とって来た録音が気がかりで仕方がなかった。
 それで脳波の収録のところを再生してみることにした。つまり、もう一度脳波にして出してみようと思ったのだ。
 隆夫は、大急ぎでその装置を組立てた。
 それから脳波を収録したテープをくりだして、その送信機につっこんだ。
 もちろん隆夫には、その脳波は聞えなかったけれど、検波計《けんはけい》のブラウン管で見ると、脳波の出力《しゅつりょく》が、蛍光板《けいこうばん》の上に明るいあとをひいてとびまわっているのが見えた。
 隆夫は、この脳波を、いかにしてことばに変化したらいいかと考えこんだ。
 その間に収録テープは、どんどんくりだされていた。脳波は、泉から流れ出す清流《せいりゅう》のように空間に輻射《ふくしゃ》されていたのだ。
 それを気に留めているのか、いないのか、隆夫は腰掛にかけ、背中を丸くして考えこんでいる。
 そのとき隆夫のうしろに、ぼーッと人の影が浮び出た。若い男の姿であった。その影のような姿は、こまかく慄《ふる》えながら、すこしずつ隆夫のうしろへ寄《よ》っていく。
「もしもし、一畑《いちはた》君。君の力を借りたいのです。ぼくに力を貸してくれませんか」
 陰気《いんき》な、不
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