知っているとは今まで思ったこともなかった。
「お前は、だまって、じっと黙っているがいいよ。あとはわしがうまくやるから」
と、治明博士は近づいて、それをいおうとしたのだ。ところがどうしたわけか、博士は声が出せなかった。そして全身がかッとなり、じめじめと汗がわき出でた。
「汝は、しずかに、見ているがよい」
レザールは重ねていった。
と、博士は何者かに両脇《りょうわき》から抱《かか》えあげられたようになり、自分の心に反して、ふらふらと舞台を下手へ下がっていった。そしてそこにおいてあった椅子の一つへ、腰を下ろしてしまった。
来会者席からは、しわぶき一つ聞えなかった。みんな緊張《きんちょう》の絶頂《ぜっちょう》にあったのだ。誰もみな――治明博士だけは例外として――聖者レザールが厳粛《げんしゅく》な心霊実験を始めたのだと思っていたのだ。このとき、舞台裏で、例の奇妙な楽器が鳴りだした。恨《うら》むような、泣くような、腸《ちょう》の千切《ちぎ》れるような哀調《あいちょう》をおびた楽の音であった。来会者の中には、首すじがぞっと寒くなり、思わず襟《えり》をかきあわす者もいた。
今や場内は異様《い
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